[Word]イエス様はどうして栄えていたのか?ーマタイによる福音書12章25節

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新約聖書マタイによる福音書12章25節
イエスは彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ、内部で分れ争う国は自滅し、内わで分れ争う町や家は立ち行かない。

今日の本文の所は、ある人がイエス様のことにけちをつけたり、文句をつけたりするから、それについておっしゃった話です。

イエス様はどうして栄えていたかというと、戦いと紛争がなかったからです。もし紛争したなら栄えなかったでしょう。戦わないで平和に暮らしたから栄えた、という意味でおっしゃったのです。

今はイエス様のことを聖人として認め、神様が送った救い主だと認めますが、当時の人たちは、イエス様のことをそれほど大きくは思わなかったのです。全人類がその方の話を信じてついていくべき神様の人、キリストであることを知りませんでした。

それで当時の人たちは、イエス様のことを悪く言いました。今の時代の人たちからしてみれば、「けしからん、聖人であるイエス様に向かってそんな事ができたんだろうか」と思いますが、実際にそういう事がありました。1人2人ではなくて、100人200人でもなかったのです。

そういう時、イエス様が本文の話をなさったのです。「私は悪霊を追い出し、神様の霊を吹き込むために来ているのに、もし私が悪霊の主管を受けているなら悪霊を追い出すだろうか。自分の味方を追い出すはずがあるだろうか。私は神様の御旨によって、神様の霊に治められているのだ」と答えました。

悪霊も分かれ争ったら立ち行かないものです。

戦うということは一番悪いことです。妬み、嫉妬することも悪いことです。個人が自分を主張して戦いますが、そのようにしたら結局は滅ぶ、と聖書には書いてあります。

敵をなくして初めて自分が楽に暮らせる、と思うのがこの世的な人間の論理であり、平和の論理です。しかし神様の論理は、聖書を通して、「敵を愛しなさい。そうすれば天国になれる」と教えました。そして、「平和を作り出しなさい」というのは、神様の教えをイエス様が伝えて下さったのです。イエス様の教えは、人の教えとは違いました。

1998年1月18日 主日礼拝より抜粋・編集 説教者:チョンミョンソク牧師

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