ルカによる福音書12章35~42節には、いつも用意をし準備をして、夜なら目を覚まして主人を迎え、昼にはいつも準備できている心で、遠くに行った主人がすぐに帰ってくるという思いで待っていて、主人を迎えなさいと言いました。
何故でしょう。
主人は待っている人が思いがけない時に来ると言ったからです。
新約聖書ルカによる福音書12章35-42節
腰に帯をしめ、あかりをともしていなさい。
主人が婚宴から帰ってきて戸をたたくとき、すぐあけてあげようと待っている人のようにしていなさい。
主人が帰ってきたとき、目を覚しているのを見られる僕たちは、さいわいである。よく言っておく。主人が帯をしめて僕たちを食卓につかせ、進み寄って給仕をしてくれるであろう。
主人が夜中ごろ、あるいは夜明けごろに帰ってきても、そうしているのを見られるなら、その人たちはさいわいである。
このことを、わきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、自分の家に押し入らせはしないであろう。
あなたがたも用意していなさい。思いがけない時に人の子が来るからである」。するとペテロが言った、「主よ、この譬を話しておられるのはわたしたちのためなのですか。それとも、みんなの者のためなのですか」。
そこで主が言われた、「主人が、召使たちの上に立てて、時に応じて定めの食事をそなえさせる忠実な思慮深い家令は、いったいだれであろう。
この譬えは、イエス様が愛している人たちにご自身に対して間違いを犯さないようにと、先にその根本を教えて下さった御言葉です。来られる主が、迎える人たちが分からないように、わざと盗人のように来るというのではありません。堂々と来ても、迎える人が信仰の眠りについていたり、どのように来るのかを知らなかったり、いつも目を覚まして用意し準備をすることをせず、自分の生活だけに溺れていれば、来られても迎えられないということです。
イエス様を信じなければ、来ても分からないだろうし、関係ないでしょう。だから主を愛し、御言葉とおりに主が約束したことを信じて待っている人たちに、そのように迎えなさいと教えて下さったのです。その御言葉通りにしてこそ、思いがけない時に迎えるようなことがなく、思っていて準備をし、迎えることができます。
2008年8月27日 水曜礼拝の御言葉 説教者:チョンミョンソク牧師



