死のうとすると青春が惜しく、生きようとすると苦労ばかり(7)ー鄭明析牧師

母は畑のうね道でそのようにして過ごした結果、腰の手術まですることになり、今ではエビのような腰になってしまい、幼子のように歩いている。そうなりながらも、今では余生を満足に過ごしている。また父は金鉱の洞窟で40余年を過ごしたあげく、呼吸障害を患いながらも、87歳という高齢で余生を過ごしている。

私はそのように食べずに、眠らずに、着ずに煩悩と苦労を経験したけれども、私が50歳を過ぎた今日でも鉄のような体になり、超人だという声を聞きながら生きることは、ひたすら神様の大きな恵みであると知り、あの時の苦痛の歴史が練達と鍛錬であったと、再び実感した。

若い時には練達と試練を買ってでもすべきだという大人たちの話が、聖賢たちの言葉のようにこだまして、うなづかずにはいられない。

私のように酸いも甘いもなめ尽くし、御旨に従って生きる愛する弟子たちに、この瞬間もまたその凛とした姿に拍手を送って励ましてあげたい気持ちでいっぱいだ。勇気を出して、落胆せずに、根気強く続けることを願う。

(続く)
死のうとすると青春が惜しく、生きようとすると苦労ばかり(8)ー鄭明析牧師

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