あそこに幸せは行くー鄭明析牧師の詩

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「あそこに幸せは行く」

あそこに雨風が吹いている。
あそこに吹雪が吹いている。
身をえぐる北風が吹いている。

何のためにあんなにも
厳しい雨風、吹雪が
吹いているのか。

ああ、そうだ、そうだ、そうだとも。

あそこに雨風吹雪の中に
幸せが行く。
幸せがあのように行くと誰がわかっただろうか。

幸せを求めている者よ、
雨風吹雪を避けるな。
雨風吹雪のない春の日に、
幸せに出会うことはないだろう。

あの茨の道を
幸せは一人で歩いている。
私も幸せを探して、
雨風吹雪に埋もれよう。
 

詩と同時に伝えられた話

もがいて功績を立てる人生に

小さい物はただでもらえる物も多いが、大きい物は、ただはない。自分達の苦労と努力の代価としてもらうものだ。金メダルを獲得した選手で、練達と修練を受けていない人は、ただの一人もいないだろう。

この時代もそうだ。もがいて功績を立てる人生になり、天のメダルをみんな一つずつ必ず首にかける人にならなければならない。忠誠を尽くした人は王の前に立ち、愚かな人は熊の前に立つことになる。誰でも天の前に立てるわけではない。自分の命の冠を人に奪われないで、必ずもらってかぶろう。

穀物がよく成長して、秋になって穀物を刈り入れるためには、種を蒔いた時に暖かくなければならないし、穀物が成長すべき時には夏のかんかん照りに照らされなければ、穀物は大きく成長できない。また涼しい風が吹いて、葉が徐々に乾いて来ると、水分が穀物に集中して、栄養が穀物に集中して、いい穀物になる。信仰の穀物になるのも同じ原理だ。

春のように暖かい日、夏のように暑い日ばかりだと、背は大きくなり実は結ぶが、しっかりした実にならない。秋なのに暖かいだけでは、葉っぱばかりが茂って、農作はだめになるという言葉を聞いたことがあるだろう。街灯の傍の穀物がいい実を結べない理由は、穀物が眠れないからだ。

冷たい雨風が吹かないと、信仰の実が熟すことはできない。雨風が吹いて涼しくなったら、熟して糖分がブドウ糖に変わって、おいしい果物になる。だから果物は旬の物がおいしく、健康にもいい。冷たい風が吹かないと、色とりどりの秋の風景を見ることはできない。

神様を思い、神様を見上げるその人生はどうなるのか

人生を楽観的に考える人は全てを楽観的に思うが、悲観論者は人生も万物も悲観的に考える。悲観的に考える人は、結局悲しみの生き方をする。全てをより希望的に思って生きて初めて、自分も希望がわき、希望のある人になるのだ。人間はどのように考えるかによって変わる。秋雨がしとしと降っている時、ある人は寂しい思いをするが、ある人は嬉しいことを考える。結局、嬉しく考える人が栄えるようになっている。

ある二人が罪を犯して獄にいれられた。一人は毎日青空を見上げて「私も鳥のように飛び回る人生を生きてみよう」と決心した。そしていつも希望的な詩を書いた。

もう一人の人はいつも下ばかり見ていた。多くの人々が行き来するたびに踏みにじられている土を見て、自分の人生も同じく踏みにじられていると思い、悲しんだ。

この二人が獄から出て来られた。一人は詩集を出して偉大な詩人になった。その人は自分の思っていた通り、空を飛ぶスターになった。もう一人は病気になって、長い間治療を受けたが、結局死んでしまった。

人生はどこを見て生きるかによって変わり、どのように考えるかによって運命が左右される。神様を思い、神様を見上げるその人生は、空を飛ぶ鷲のような人生になる。

葉が落ちたからといって落胆することもない

夏の期間中にちゃんと伸びなくてやせ細っている木もあれば、丈夫に育つ木もある。葉っぱが落ちて裸になっても、夏中よく成長できた木は、雪景の中で美しい姿を現し、創造主の大作品になる。葉が落ちたからといって落胆することもなく、花が散ったからといって落胆することもない。主人によって切り取られたのでなければ、春が戻ってくると、生き生きとした葉が生え、華やかな花を咲かせ、美しい実を結んで、主人を喜ばせるだろう。

広葉樹の人生よ、葉が散ったからといって落胆するな。創造主が決めた自然の法則と摂理の法則だ。幼い木は風の影響をあまり受けないし、ひどく倒れることもない。

大きい木ほど風の影響を受けやすく、ひどく倒れるので、お互いに支えあって、台風に対処して行かなければならない。大きい木は雨風の影響をたくさん受けるが、根が深いために、苗よりは根こそぎ抜かれることはない。このような万物の原理を悟って、自分達もそうであることを分かって、大胆に生きるべきであり、知恵と知識の神様について分かって生きて行くべき時だ。

主の教えを完全に学んで、悟って、人生を生きて行かないと、険しい世の海を正しく治めることはできない。

ダビデは神様から祝福を受けたのになぜ10年も苦痛を受けたのか

ダビデが油を注がれてからも10年間苦痛を受けたのは偶然ではなかった。罪があって試練、苦痛を受けたのではなく、力がなかったからそうだったのでもない。ダビデは神様が立てた人で、戦争したら誰にでも打ち勝った。ダビデはペリシテ軍が攻めて来た時に、小石を投げてゴリアテを殺し、戦争を勝利に導いた。

ダビデが洞窟に隠れていた時、サウル王が素手で洞窟に入って来たので、その場ですぐに殺して、その肉を野獣達に与えることもできたが、命を愛し、敵を愛し、神様を愛して、その御言葉に聞き従ったので、サウルを殺さなかった。サウルを恐れて殺さなかったのではなくて、神様を愛する者として、神様の期待にはずれるような生き方をしないためだった。ただ神様だけがその心を分かって、ダビデと共になさって、全ての悪に打ち勝つようになさった。

ダビデは肉的にも心的にも、毎日苦痛を受けた。同じ民族がダビデを追撃し、戦争の苦しみを経験した。結局、ダビデはイスラエルの王となって、40年間大小の戦争をし、イスラエルを周りの国々から守り、治めた。また神様に全ての芸術、文化をもって栄光を帰し、神様が立てた人として、無類の王として働いた。

ダビデは王として油を注がれても10年間、練達と試練を経験することで、統一王国時代の主権者としての使命をまっとうすることができたのだ。

いつの時代の中心人物も、預言者も、メシヤも同じだったし、この時代も同じだ。私達は子供ではなく、季節を一、二回しか経験していないわけでもない。毎年欠かさず洪水になり、雨風が吹き、吹雪が吹いたし、時には台風も吹いた。歴史も毎年そうであることを悟り、心で対処し、行いで対処して生きて行くのが知恵だ。
2002年11月10日

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【詩人としての鄭明析】
1995年に月刊「文芸思潮」に登壇した後、「霊感の詩」4冊を発表。2011年に韓国100年史詩人に公式登録。2013年、各書店にて詩集ベストセラー。現在も、詩作の手綱を緩めることなく、今までに3000編あまりの膨大な詩を発表している。
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