目を覚まして祈っていないと誘惑に陥ってしまう。イエス様は弟子たちが祈らないのを見て、祈りなさいとおっしゃったのだ。その時はイエス様が十字架を背負う直前だった。だから誘惑に陥らないように祈りなさいと言った。祈らなかったらつまずく。祈ったら私たちが神様の近くにいけるようになるし、祈ったら困難に打ち勝てるようになるし、祈ったら困難なところにいかなくなる。しかし祈らなかったら困難に陥ってしまう。
つまずいたということは、いろいろと表現できる。泳いでいた人が水に溺れたこと、または学生がテストを受けて答案を書けなくて落ちたこと、艱難を受けること、霊の主管を受けること、サタンの主管を受けることなど。祈らなかったらサタン、悪魔の主管を受けるようになる。誘惑に陥らないように祈りなさいということを別の言い方で言うと、本文の話のように、悪い人たちがイエス様に苦痛を与えているが、そういう所に入らないように祈りなさいということだ。悪い人たちが私たちに害を与え悪いことをしているから、それに巻き込まれないように祈ろうということと同じだ。またつまずくということは、自ら自暴自棄に陥ること、つらく思ったり、神様が望む通りに喜んで生活をしないで倒れることなどをつまずきと見なす。祈ったらこういう所に入らなくなると言った。
教会に通っていない人たちは山に行ったりする。山に行って瞑想をして下りてくる。精神を整えてこうしようと決心して山から下りてくる。信仰のある人たちは神様に祈る。祈って神様から力をもらい、神様から許可を得るようになるが、信仰のない人たちは山で瞑想して決心をして山から下りてくる。その人にとってはそれを祈りだと言う。困難を解決したり、つらい問題を解決したりもする。私たちは神様に祈り主に祈り、自分を救った方に祈って求めてやっていく。イエス様は「あなたがたにからし種一粒ほどの信仰さえあれば、祈って山を動かすことができる」とおっしゃった。
イエス様も生きていらっしゃったとき、祈りの生活をたくさんなさった。昼はずっと福音を伝え、夜には夜通し祈ったことが聖書にたくさん書かれている。イエス様の思想、イエス様の精神を見ても、祈りの生活をして、艱難が続く中でも決心をし、祈って求めてつき進めたことがわかる。
私たちが祈らなかったら誘惑に陥るという話がたくさん書かれている。
マタイによる福音書24:43で「あなたがたはわからないから、いつも目を覚ましていて祈りなさい」と言った。盗人が来ることが分かっていたなら、居眠りをして盗まれたりすることがあるだろうか。はっきりと分かっていたなら絶対に寝ないということだ。このように譬えて「あなたがたは分からないからいつも目を覚まして祈りなさい」と言った。
祈らなかったら必ず誘惑に陥る。士師も預言者もメシヤも祈らなかったら誘惑に陥るようになる。必ず祈らなければならない。祈ったら誘惑に陥らないし、信仰が伸びるし、栄える。
アブラハムはいつも祭壇を築いて捧げ物を捧げた。祈りの生活をしたということだ。ノアもそのようにして神様と近くなり、中心人物になった。ヨセフも神霊な人でそのようにしたし、ヤコブも同じくいつもたくさんお祈りをした。祈って神様から啓示も受け、深いことも悟ったりしなければならない。国家のために教会のために自分のために祈らなければならない。祈りの人になれば、水泳選手が水泳がうまいように、サッカー選手がサッカーがうまいように、その人が関わることですべてが左右されるようになる。つまり祈りの勇士になって、あるできごとに飛びこんだらそのできごとの運命が大きく左右される。祈る勇士にならなければならない。
聖書を読んでみると、エステルのような人も祈って運命を左右した。みんなが死ぬはずだったが、祈ったことで生かした。祈らなかったら自分が大きく損をこうむる。必ず祈らなければならない。毎日捧げる祭壇を築かなければならない。いつも祈らなければならない。
エリヤもたくさん祈りの生活をした。3年6ヶ月間山で何をしただろうか。神様がエリヤに「あっちに行きなさい、こっちに行きなさい」とおっしゃった。神霊になって神様の声を聞いて、そのように行動したのだ。サムエル預言者もダビデも祈りの生活をたくさんしたし、ソロモンも一千回の祭壇を築く祈りの生活をした。必ず祈らなければならない。
祈りとは何であるか。祈りの意味を知らなければならない。祈りは神様と対話をする時間だ。一緒に話し、あいさつをし、毎日対話をしなければならない。毎日捧げる祭壇を廃してはいけない。毎日の祈りを廃してはいけない。すべての預言者たちもみんな祈った。新約時代のとき、イエス様がなくなってから使徒たちが二階の部屋で祈って聖霊の働きが起こった。いつもそばにいる時には分からないものだ。祈りがどんなに大きいのか分からない。対話がどれほど大きい事なのかわからない。神様に対する祈りがどれほど大きいことなのか分からない。毎日対話をすれば異常がない。対話がきれたらどうすればいいのか分からなくなる。
誘惑に陥らないように祈りなさい。祈ったら祈りの力をもらうし、力をもらった人が祈ったらさらにパワフルになる。スポーツをする人がスポーツをたくさんしていると、スポーツの力をもらうようになる。そうなると負けるところも勝てるようになる。
2000年8月27日
主題 誘惑に陥らないように祈りなさい
説教者 鄭明析牧師
聖句 マタイによる福音書26:40―41
より抜粋