[聖書の人物]価値を悟れなかった人たち

聖書を読むと、<初めの信仰と初めの愛と初めの価値を忘れた人たち>は「神様と聖霊様と御子主」を奪われ、「さまざまな祝福」を奪われました。

しかし<神様と主と約束したことを初めからあとまで守って、ますますもっと愛して価値を分かって生きた人たち>は「祝福」も「愛」ももっと受けて、もっと「価値」を分かって喜んで感謝して生きました。

<価値>を忘れたら「同じ次元の道」を行けなくなります。

<サウル王>も「預言者サムエル」に初めて会ったときは謙遜で、人格的に接しました。しかし王になってからは心も行ないも変わって、「預言者サムエルの価値」をなくして接するようになりました。そうして神様の人サムエルに叱られ、神様にも捨てられるようになりました。

<ロトの妻>も最初はよくついていきましたが、「天使の言葉の価値」を忘れて後ろを振り向いたことで裁かれました。

旧約聖書 創世記19章26節
しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。

<十人の乙女の中の五人>は、最初は新郎を熱烈に待っていましたが、あとでは「価値」を忘れ、居眠りをし、寝て、新郎を迎えられませんでした。

神様は<初めもあとも感謝感激して喜ぶダビデ>を王として立て、イスラエルの国と民族を任せて、40年間治めて喜んで生きるようになさいました。

イエス様の時も<初めの愛を奪われたイスカリオテのユダ>は「主」を奪われるようになりました。<他の弟子たち>は初めの愛を最後まで続けて、霊界に行ってもイエス様の弟子として主と共に生きています。

<初めの信仰>を捨てて<初めの愛>を捨てるから、「甲斐」もなくなり、「価値」も失うようになります。<物>も<家>も<環境>も<人>も初めて得たときは喜びが満ちて喜んで愛していたけれども、時間が経つと「甲斐」も少なくなり、「喜び」も「愛」も普通になります。

<初めの愛>をなくしたら「燭台」を移すと言いましたが、実際は自分自ら貴重に思えなくて、考えが違った方に変わっていくようになるのです。

ヨハネの黙示録2章5節
そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。

<物>も最初は「宝を得たように」喜んでも、長く経ったらだんだんと普通に思うようになって、「普通の値段」で売ってしまいます。

<信仰の生>もそうです。<神様と聖霊様と御子主>を愛の対象として喜びと愛で接して生きても、長く経ったら「価値」も失い、「愛」も覚めて、普通に接して生きていきます。

<初めの愛>も<初めの価値>も<初めの喜び>も忘れないでください。忘れたら「成長が止まった生」になります。

祈って<価値>を悟ってこそ、喜び楽しみ、愛で熱く10倍、100倍享受して生きるようになります!

2020年1月26日主日の箴言より抜粋
<主題><初めの感謝と喜びと愛>を忘れずに毎日行なおう
<本文>マタイによる福音書9章15節~17節 ヨハネの黙示録2章4節

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