[聖書]ダビデは恐ろしさの中でも神様から揺れなかった

ダビデ像
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ダビデは幼い時から神様を絶対的な権能者として、あるいは牧者として考えて、自分自身を助けてくれる人として考えて生きてきました。だから神様が幼な子を選んで、イスラエルの国の王として油を注いで選ばれたということです。人々も自分の気に入った人を絶対的に使うようになります。人

は大きい人であれ、小さい人であれ、その考えが完全であってこそ完全な人になります。ダビデは幼い年齢ではありましたが、考え方が完全だったのです。

まず第一として神様に対する考え方が完全であり、また第二として自分に対する考えが完全だったのです。幼くはありましたが自分自身を創造した人を早くから悟って、仕えて、感謝しながらその恵みを分かって神様に栄光を帰すためにいつも讃美をしました。

神様はダビデを気に入ってイスラエルの国の王として早くから選ばれました。経験のなかったダビデを王としてすぐに立てることができなかったのか、10年という長い長い歳月をかけて、戦争と苦難といくつかの凄まじい環境の中で練達といろいろな経験を得させました。

そのような中でもダビデは、挫折せずに神様だけに絶対的に頼って最後まで耐えながら生きたのです。これがダビデの偉大なところです。神様を自ら頼って神様が絶対的なダビデの牧者になりました。ダビデは、骨身にしみるようなつらい環境と凄まじい環境の中で神様に仕えた思考は完全であり、また多くの恐ろしさの中でも神様を絶対的に頼って中心が揺れることがありませんでした。

そうしながら詩篇に記録されたように自分と神様の間を信仰として告白しながら多くの詩を読みました。それによって後生に自分が信じた神様を証しするようになりました。ダビデの詩篇は、ある詩人が部屋の中でただ読んで書いた詩ではありません。

ダビデが敵達に囲まれて死ぬ直前にはらはらしながら、その緊張状態の中で、凄まじい恐ろしさの中で、一章一章遺言(ゆいごん)のように書いたのです。嘘をつかないで自分の心情を神様に告白した内容なのです。詩篇を最後まで読んでみながら、ダビデが神様に対してどのように生きてきたのか、神様はダビデにどのように接してくださったのか、何度か読みながらそれぞれ恵みを受けてダビデのように、この時代の、勇敢で偉大な人になることを望みます。

ダビデは神様に対して、神様は絶対的に自分の命を害する人たちをそのままだまって見ていましたが、悪人が自分の命を害そうとしたその直前、悪人を裁かれて自分に恵みを施される神様の御旨を根本的に悟りました。

このような神様の御心を悟って深い霊感にとらわれて、詩篇の23篇を告白しながら神様を讃美するようになったのです。神様の助けと感謝と讃美、そして自分が神様のために永遠に生きるために詩で詠んだ章です。詩篇でもっとも代表的な章でもあります。

詩篇23篇は歌になって世の中の全ての人たちが代々歌ってきました。ダビデの詩の中でそれこそベストセラーになったものであり、旧約の人たちと現代の全ての人たちまでその詩が神霊に衝撃を与え、恵みの波が休むことなく波打っています。みんな、詩と歌と楽器と芸術で、それぞれの自分の特技を眠らせておかないで、素質と才能を開発して、神様に栄光を帰しましょう。

2000年3月19日 主日礼拝
本文:旧約聖書 詩篇23篇
ダビデの歌
23:1主はわたしの牧者であって、
わたしには乏しいことがない。
23:2主はわたしを緑の牧場に伏させ、
いこいのみぎわに伴われる。
23:3主はわたしの魂をいきかえらせ、
み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
23:4たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、
わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。
あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
23:5あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、
わたしのこうべに油をそそがれる。
わたしの杯はあふれます。
23:6わたしの生きているかぎりは
必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。
わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。

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