新約聖書マタイによる福音書26章41節
「誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。
目を覚まして祈っていないと誘惑に陥ってしまいます。イエス様は弟子たちが祈らないのを見て、祈りなさいとおっしゃいました。その時はイエス様が十字架を背負う直前でした。だから誘惑に陥らないように祈りなさいと言ったのです。祈らなかったらつまずくのです。祈ったら私たちが神様の近くにいけるようになるし、祈ったら困難に打ち勝てるようになるし、祈ったら困難なところにいかなくなります。しかし祈らなかったら困難に陥ってしまいます。
新約聖書ヨハネによる福音書16章01節
わたしがこれらのことを語ったのは、あなたがたがつまずくことのないためである。
つまずいたということは、いろいろと表現できます。艱難を受けること、霊の主管を受けることなどです。祈らなかったらサタン、悪魔の主管を受けるようになります。誘惑に陥らないように祈りなさいということを別の言い方で言うと、本文の話のように、悪い人たちがイエス様に苦痛を与えていますが、そういう所に入らないように祈りなさいということです。悪い人たちが私たちに害を与え悪いことをしているから、それに巻き込まれないように祈ろうということと同じです。またつまずくということは、自ら自暴自棄に陥ること、つらく思ったり、神様が望む通りに喜んで生活をしないで倒れることなどです。祈ったらこういう所に入らなくなると言いました。
信仰のある人たちは神様に祈ります。祈って神様から力をもらい、神様から許可を得るようになります。私たちは神様に祈り主に祈り、自分を救った方に祈って求めてやっていきます。イエス様は「あなたがたにからし種一粒ほどの信仰さえあれば、祈って山を動かすことができる」とおっしゃいました。
新約聖書マタイによる福音書17章20節
するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。
イエス様も生きていらっしゃったとき、祈りの生活をたくさんなさいました。昼はずっと福音を伝え、夜には夜通し祈ったことが聖書にたくさん書かれています。イエス様の思想、イエス様の精神を見ても、祈りの生活をして、艱難が続く中でも決心をし、祈って求めてつき進めたことがわかります。
私たちが祈らなかったら誘惑に陥るという話がたくさん書かれています。
マタイによる福音書24:43「あなたがたはわからないから、いつも目を覚ましていて祈りなさい」
盗人が来ることが分かっていたなら、居眠りをして盗まれたりすることがあるでしょうか。はっきりと分かっていたなら絶対に寝ないということです。このように譬えて「あなたがたは分からないからいつも目を覚まして祈りなさい」とイエス様は話されたのです。
新約聖書コロサイ人への手紙4章2節
目をさまして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続けなさい。
祈らなかったら誘惑に陥ってしまうし、聖書を見ると士師も預言者もメシヤも祈らなかったら誘惑に陥るようになりました。祈りましょう。祈ったら誘惑に陥らないし、信仰が伸びるし栄えるのです。
アブラハムはいつも祭壇を築いて捧げ物を捧げました。祈りの生活をしました。
旧約聖書 創世記12章7節
時に主はアブラムに現れて言われた、「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」。アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。
ノアもそのようにして神様と近くなり、中心人物になりました。
ヨセフも神霊な人でそのようにしたし、ヤコブも同じくいつもたくさんお祈りをしました。祈って神様から啓示も受け、深いことも悟りましょう。国家のために教会のために自分のために祈りましょう。祈りの人になれば、水泳選手が水泳がうまいように、サッカー選手がサッカーがうまいように、その人が関わることですべてが左右されるようになります。祈りの勇士になって、あるできごとに飛びこんだらそのできごとの運命が大きく左右されます。祈る勇士になりましょう。
聖書を読んでみると、エステルのような人も祈って運命を左右しました。民族みんなが死ぬはずでしたが、祈ったことで生きたのです。祈らなかったら自分が大きく損をこうむるから、祈りましょう。毎日捧げる祭壇を築いて、いつも祈りましょう。
エリヤもたくさん祈りの生活をしました。3年6ヶ月間山で何をしたでしょうか。神様がエリヤに「あっちに行きなさい、こっちに行きなさい」とおっしゃいました。神霊になって神様の声を聞いて、そのように行動したのです。サムエル預言者もダビデも祈りの生活をたくさんしたし、ソロモンも一千回の祭壇を築く祈りの生活をしました。
祈りとは何でしょうか。祈りの味を知りましょう。祈りは神様と対話をする時間です。一緒に話し、あいさつをし、毎日対話をしましょう。毎日捧げる祭壇を廃してはいけないと聖書にあります。そのように毎日の祈りを廃さないようにしましょう。すべての預言者たちもみんな祈りました。新約時代のとき、イエス様がなくなってから使徒たちが二階の部屋で祈って聖霊の働きが起こったのです。いつもそばにいる時には分からないものです。祈りがどんなに大きいのか分からないのです。対話がどれほど大きい事なのかわかりません。神様に対する祈りがどれほど大きいことなのか分かりません。毎日対話をすれば異常がありません。対話がきれたらどうすればいいのか分からなくなります。
誘惑に陥らないように祈りましょう。祈ったら祈りの力をもらうし、力をもらった人が祈ったらさらにパワフルになります。スポーツをする人がスポーツをたくさんしていると、スポーツの力をもらうようになります。そうなると負けるところも勝てるようになるのです。
2000年8月27日
主題 誘惑に陥らないように祈りなさい
説教者 鄭明析牧師
聖句 マタイによる福音書26:40―41
より抜粋