神様はイエス様を通して、もともと神様を信じていたユダヤ教の人達、つまりイスラエル民族を中心として救いを広げようとなさいました。
だからイエス様はユダヤ人を中心とした福音を広げましたが、ユダヤ人たちは既存の形式、既存の教理、固定観念にあまりにも囚われすぎていたので、イエス様のおっしゃることと新しい時代に神様の御旨を広げること全てを理解できなかっただけではなく、受け入れようとしませんでした。
今日の本文のように、神様は、イエス様がユダヤ人たちに福音を伝えることを願いませんでした。教理と制度、イエス様の教えを受け入れないだけではなく、イエス様を殺そうと陰謀を企んでいるのを分かって、イエス様は彼らに福音を伝えることを願いませんでした。イエス様についてくる弟子達の中にも、イエス様に対する信仰をはっきりと持てずに、揺れている人達が多くいました。
それは、御言葉は正しいが本当にイエス様がユダヤ人が待っていたとおりのメシヤなのかどうか、本当に旧約で神様が送ってくれると約束したメシヤがイエス様なのかどうかという大きな問題を前にして、イエス様をはっきりと信じることが難しかったのです。弟子の中には、イエス様の行いを見てお話を聞いてイエス様がメシヤであることをはっきりと信じてついて来た人達もいました。
しかし他の人達は、イエス様が病気を癒し、しるしを見せ、神様の御言葉をはっきりと教えているのを見て、「この人は預言者だ」「この人はイスラエルの大きな教師だ」と思ってついて来るのがほとんどでした。
イエス様が御自身を現すことを願っていながらも現せないその心情を知っている人達は、イエス様に話しました。イエス様の弟子たちにははっきりとイエス様のことを現すことができるから、弟子達のために他の所に行って御自身のことを現す方がいいのではないかと話しました。
誰でも天の使命や地上の使命を持っている人達が自分を現すとき、その使命を見てもっと多くの人達がついてくるようになります。しかしイエス様はみんなが反対し、迫害をしたので、神様が送った全人類のためのメシヤでありながらも話すことができませんでした。イエス様を迫害し、信じないで、悪口を言ったからです。イエス様がメシヤだという大きな使命を持っていたからです。
たぶん預言者だと言ったなら、それほど激しく迫害したり反対しなかったでしょう。士師やヤコブやヨセフのような一つの時代の中心人物のような人だと言ったなら、それほど迫害されなかったでしょう。すぐに信じてくれたでしょう。
しかし全人類が待っている、神様の次に信じて従っていくべきメシヤだったので、何の疑いもなく信じようとはしませんでした。だからイエス様をメシヤだと信じて従ってくる人達の数は少なかったのです。メシヤとして信じて従うことが中心になったからです。
2001年1月28日 主日礼拝 主題:キリストを信じて行う人が幸いな人だより 抜粋・編集 説教者:チョンミョンソク牧師