*主日礼拝で伝えられた御言葉の抜粋版です
<本文>
ヨシュア記1章8節『この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。』ルカによる福音書11章28節『しかしイエスは言われた、「いや、めぐまれているのは、むしろ、神の言を聞いてそれを守る人たちである」。』
ヨハネによる福音書6章63節『人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。』
ハレルヤ!
今日は「御言葉で話すから正しく分かって生きなさい」という主題で御言葉を伝えます。この御言葉は現在成される御言葉だから、現実感があり、感動と喜びです。
御言葉は神様です。いつも時代ごとに御言葉の肉体になったその人が話してくれます。イエス様のときもイエス様が神様の御言葉の肉体になって来られました。
(ヨハネ1:1)『初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。』
(ヨハネ1:14)『そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。』
今日の御言葉でこの時代を話してくださる神様に感謝し、分かって行なうことで神様が下さる無限な祝福を受けることを祝福します。
人間と万物について見る目がなければ盲目です。
神様の御言葉は聖書にもあるし、万物に創造して実体としても存在します。聖書は文学として、文字として存在する神様の御言葉であり、万物はその内容が実物として存在する聖書であり、神様の御言葉です。
万物を見たら実感があります。だから神様が万物で見せて「これと同じくこうだ」と啓示してくだされば、もっと伝わってきます。万物が鏡になって自分を映して見るようにもなさいます。
このように教えてくださったことを毎日見ながら行なってはじめて事故も起こらないし、事故が起こるところも前もって防ぎ、さまざまに得るようにもなります。
神様は万物で啓示なさると言いましたね?万物が鏡となって、見るようになさり、悟るようになさると言いました。
雲は「メシヤでも人間だから、雲に乗ることはできない」と啓示します。このように神様は万物で見せて数百、数千、数億回それぞれの人にみんな啓示してくださいました。
先生も「雲に乗ることができるだろうか?」と思って、山の頂上に登って雲に乗ってみようとしました。しかし雲を見たら霧のようだったので「どうやってイエス様が雲に乗って来られると言うのだろう?」と疑いました。それでコインを乗せてみましたが、だめで落ちました。それで「再臨も引き上げも肉体のことではない」と分かるようになりました。「それでも全能者だから雲に乗って来られるのではないか?」と思いました。しかし万物で見せてくださったから確認して「これは違う」と思いました。
それが正しかったです。
信仰世界も世の中も神様の御心どおりに悟って見ると、神様がなさることが不思議で、霊妙で、奇異です。神様と聖霊様が話された御言葉を完全に悟ってその道を行けば、苦労はしても不思議で奇異なことに、いつも道が塞がれることなく開かれています。
だからいつも聖書と御言葉を神様、聖霊様、御子、イエス様が話されたとおりに解くべきです。そうしてこそ現実も未来も果てしもなく栄え、その御言葉が成就します。
「イエス様の肉が再び来る。肉で再臨なさる」と間違って聖書を解いて生きていた人たち、世界のキリスト教のみんながどれほど待って準備してきたか分かりますか。
イエス様の肉体が来るという再臨の時は2000年です。今は2026年だから、来ると言った時から26年過ぎました。それでも肉体は来ません。
「違うことは永遠に違う」
聖書でも一度生まれて死ぬことは定められた理致だと言いました。
▶参考聖句:ヘブル人への手紙9章27節
そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、
それでもキリスト教は外国に行って帰ってくる恋人を待つように待っています。家も建て直し、環境もつくっておくように、夜通し寝ることもせずに祈って毎秒待ちつつ生きてきました。
それでも神様、イエス様は彼らに霊で来ると話してくださいませんでした。大きな声で「私は肉体で来ない」とおっしゃったなら、みんなが分かって正しく迎えただろうに、そのようには話されませんでした。これは、その日に来てすべてを明かし、話すと言ったからです。すでに来てすべてを明かしてくれました。
(ヨハネ16:25)『わたしはこれらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来るであろう。』
イエス様は2000年前、十字架につけられたとき肉は亡くなり、霊は天に行かれて、約束なさった2000年になる前に、違えることなく霊で来られました。
神様、聖霊、御子、イエス様は実際に新婦として準備できた霊たちを連れて黄金天国に行く歴史をすべて成し遂げました。霊は霊で行ない、その肉体は肉体で、地上で千年の婚宴、信仰の婚宴をします。神様、聖霊、御子はこのことを信じて従う人たちとその御心を続けて成して行かれます。
このように聖書を正しく分かって正しく解けば、無尽蔵なことが起こります。神様の真理である聖書を神様の御心どおりに正しく解き、神様、聖霊、御子とイエス様と共に行なうから、聖書が実際に成されて、話題と経緯が千年間話せるぐらい、無限にたくさんあります。聖書に預言された約束と希望がすべて成されたので、不思議で、霊妙で、奇異です。
このことを知っている人たちが証しするから、結局はみんなが分かるようになります。歴史がこのように進んで行くことを後世はもっと分かります。
水石も木もさまざまに存在するものも、正しく分かる人だけが値打ちが分かります。その人は感嘆してよいものを買っていって自分のものにし、喜んで自分の同僚たちを呼んで宴会をします。
畑に宝が隠されていることを分かった人は、苦労しても、自分の持ち物をすべて売り払ってでもその畑を買って一人で喜びます。
水石も何かの存在物ももっと好きな人、価値が分かって見る人が買って行きます。木や水石だけではなく万事がそうです。信仰も分かれば分かるほどもっと行ないます。だからもっと分かる人が主人になります。
水石や木や神様と聖霊が創造なさった存在物のことが分かれば、不思議さ、霊妙さ、奇異さが続きます。それによってほかのものもすべて正しく見ることができます。
軟(やわ)らかい水は触れるだけでも一つになります。硬いものは一つにしようとして縛っても一つになりません。人も、善も悪もそうです。縛っておいても互いの質が異なれば一つになりません。結局ばらばらの砂のようになり、バベルの塔を建てていた人たちの運命のようになります。
水石が好きな人たちは水石の文化で固まって喜んで生きて栄えていき、木が好きな人たちは彼ら同士が固まり、科学も宗教もそれぞれ主張が同じで心が同じ人たち同士が固まって自分たちなりにその文化を発展させて行きます。
神様は宗教だけではなく人間みんなが、世界の数十万カ所で自分なりに平和に生きていくことを喜ばれます。
ただし、神様の御心どおりに生きるべきです。神様の御心を離れた非原理の生は行っても行っても先が真っ暗で、力がなくて、足が震えよろめきます。
神様の御心どおりに生きる人たちは力が湧き、喜んで信仰の眠りにつくこともしません。それでもどんどん力が溢れて地球が揺れるほど走ります。そのようなところがほかならぬ婚宴をする家です。神様、聖霊様、御子、イエス様がここにいらっしゃいます。
水石も自分が願う形、形象がなければその水石に対して期待と希望と目的がありません。これと同じく人間に「自分の目的」という形象と形がなければ希望がありません。だから神様は自分をつくりなさいとおっしゃいます。そうしてはじめて、それによって価値と希望があります。
「神様が時代と自分にくださった目的」を貴重に思って、大切にすべきです。価値を分かって保護しなければなりません。毎日喜び楽しんで生きるのです。自分をつくり、すべきことを捜して労苦し行なえば、幸せが大きいです。神様と愛し合いながらやってこそ幸せがもっと大きいです。
肉体のことは小さいことでも大きいことでも、もし機会を逃したら犠牲になればいいし、食事を抜けばいいし、苦労すればいいです。また機会が来る場合もあります。
しかし霊に属したことは一度機会を逃したら終わりです。それは二度と得られません。神様がくださった機会だからです。たまに神様が愛して再びくださる時もあるけれども、特別に神様と関わっていることでなければ、また得ることは難しいです。
苦痛を受けながらこのことを悟って御言葉を伝えるから、この御言葉をプレゼントのようにもらって、しっかりやってください。ちゃんとやれば神様がまたみなさんによいプレゼントを、手に入れて、くださるとおっしゃいました。
神様は各自に、ある事物のことをはっきり分かったら、それに譬えて「あなたたちみんなもこのようにやりなさい」とおっしゃいます。
自分が好きな存在物や人が、自分の願うとおりの形と形象をすべて備えているならどんなにいいでしょうか。自分をこのようにつくりなさいということです。
よいほど危険が伴います。悪いほどよいことが伴います。
いくら自分は安全だと言っても、実際は危ない場所にいたら、その人を愛する人たちはみんな心配し、憂え、悩んで眠れません。平地にいる人は自分は自由だというけれども、むしろそこは車で通って事故が起こり、ぶつかり合って戦うことになるから、さまざまに本当に危ないです。
すべてのことの根本を知っている人は、愛する人たちが自分は平地にいるから自由だと言ってもそこは本当に危ないものがあるということを分かって、彼らが事故が起こって死ぬのではないかと心配し、憂え、不安で夜も昼も祈ります。
むしろ絶壁の上に行って危ないという人は、実際は前を透明なガラスが覆っているし、体は鉄のロープにつながっています。
さまざまな気になることと真っ暗なことが山のようにたくさんあっても、解いたらすべて答えが出てきます。季節が来るように時が来ます。その時にそれまでやっておいたことを見せたら、みんなが見て聞いて感嘆して不思議だと言います。このように問題がすべて解けます。
だから熱心にがんばってください。神様がみなさんの期待と希望と祈りをすべて聞いてくださいます。みんな時代が進んで行けば行くほど栄えるように、よいようにしておきました。時が来ればすべて解けます。先生はこのようになることを見てきました。
自分がその使命を果たした分だけは甲斐があるようにしてくださいます。だから落胆しないでやってください。各自自分が好きな形や形象の喜びがあります。御言葉を聞いて神様の御心の中で毎日自分が好きなとおりに行なってつくればいいです。
人は見るに値するものがあるときに、窓を開けて見ます。神様が窓を開けてみなさんのことを見たくなるようにすべきです。脳の工場を点検し、いつも稼働させるのです。大変だからと言って工場を閉めたら、機械が錆びついて雑草だらけになるから、一時損をするとしても稼働させるべきです。そうすれば、時が来たらすべてもっと栄えます。
神様が喜んで隠密に人を通して買ってくださったら、それをもらった人も喜んでついて行くべきです。このことを悟れなければ、平素自分の好きなことばかりが好きで、神様が人を通して隠密にくださるものには気づきません。
聖霊の平安を祈ります。
2026年4月5日主日の御言葉主日礼拝 主題:御言葉で話すから正しく分かって生きなさい 説教者:チョンミョンソク牧師






