詩篇32篇のダビデの詩が本文です。
第32篇
ダビデのマスキールの歌
32:1そのとががゆるされ、
その罪がおおい消される者はさいわいである。
32:2主によって不義を負わされず、
その霊に偽りのない人はさいわいである。
32:3わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、
ひねもす苦しみうめいたので、
わたしの骨はふるび衰えた。
32:4あなたのみ手が昼も夜も、
わたしの上に重かったからである。
わたしの力は、夏のひでりによってかれるように、
かれ果てた。〔セラ
32:5わたしは自分の罪をあなたに知らせ、
自分の不義を隠さなかった。
わたしは言った、
「わたしのとがを主に告白しよう」と。
その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。〔セラ
32:6このゆえに、すべて神を敬う者はあなたに祈る。
大水の押し寄せる悩みの時にも
その身に及ぶことはない。
32:7あなたはわたしの隠れ場であって、
わたしを守って悩みを免れさせ、
救をもってわたしを囲まれる。〔セラ
32:8わたしはあなたを教え、あなたの行くべき道を示し、
わたしの目をあなたにとめて、さとすであろう。
32:9あなたはさとりのない馬のようであってはならない。
また騾馬のようであってはならない。
彼らはくつわ、たづなをもっておさえられなければ、
あなたに従わないであろう。
32:10悪しき者は悲しみが多い。
しかし主に信頼する者はいつくしみで囲まれる。
32:11正しき者よ、主によって喜び楽しめ、
すべて心の直き者よ、喜びの声を高くあげよ。
私たちは、ダビデがどのようにこの詩を書いたのか知らなければなりません。ただ、詩人のように詩を書いたのではありません。羊を導くある羊飼いが、のんびりと笛を吹きながら、歌を歌うように書いたものではありません。ダビデがした生活を見て、ダビデの話した言葉を悟らなければなりません。彼の立場を通して、境遇を通して悟らなければなりません。
詩篇はほとんどダビデの詩ですが、静かにのんびりと詩を書いたのではありません。ダビデが羊たちを飼っていたときに書いたものではなく、ペリシテと戦いながら、また自分の血統と戦いながら書いたものです。自分の愛する血統、舅(しゅうと)になるサウル王が彼の敵でした。内的な政治はダビデが握りましたが、外的な政治はまだ握っていない状態で、サウルから受ける苦しみ、苦痛は大きいものでした。
いつもサウル王はダビデを捕まえようとしました。数え切れないほど戦いがありました。そしてサウル王が直接統率して捕まえようとしたから、どんなに辛かったでしょうか。サウル王が直接軍隊を導いて、ダビデを捕まえようとしたのです。
ダビデは神様から油を注がれた人として、その時代の大きな主権者となりました。それによって受ける苦しみ、痛みは言い尽くせないものでした。涙ぐましい苦痛があまりにも多かったのです。ダビデのこの詩は、ある詩人が詩を書くように書いたものだと思ってはいけません。心情が燃え、心が燃えて火がつくほどになったとき、詩を書いたのです。この詩は、本当に神様に叫ぶ詩でした。
1999年3月21日 主日礼拝
主題:大水の押し寄せる悩みの時にもその身に及ぶことはない
本文:詩篇32:1-11
より抜粋