箴言4章13節から15節『教訓をかたくとらえて、離してはならない、それを守れ、それはあなたの命である。よこしまな者の道に、はいってはならない、悪しき者の道を歩んではならない。それを避けよ、通ってはならない、それを離れて進め。』
シャベルと鍬を持って小さい道をつくるとき、下から岩が出てきたら、岩はそのままにしておいて、まず土だけを掘らなければなりません。そうしてこそ仕事をたくさんできます。
これと同じく、万事すべてのことを行なうとき、難しいことが生じたらまずその仕事は置いておいて、易しいことからやることです。
下に岩があるといってそればかりシャベルで突いていたら、仕事ができません。それは置いておいて、あとでやらなければなりません。
このようにやっている途中でできないことがあったらそれは置いておいて、まずできることだけをすべきです。
小道をつくっている途中下から岩が出てきたら、まず表面にある土だけを取り除いて使えばいいです。下にある石をシャベルで削っていたのでは、決まった時間に小道をつくることはできません。
試験を受けているとき難しい問題があって、そればかり解こうとして時間を全部使ったら、易しくて分かる問題も解けず、試験の時間が終わって試験に落ちます。
だから各自差し迫ったことをするとき、難しいことが生じたら置いておいて、まずできることだけをやってください。そのほかはそのままやり過ごさなければなりません。
○夢で見たら、二人の人がシャベルで道をつくっていました。下から岩が出てきたのでそれをシャベルで突いたり削ったりして一時間もかけていたので、岩はそのままにしておいて表面の土を取り除きなさいと言いました。それくらいやるだけでも道として使えるのに、下にある硬い岩を掘り出そうとして、そのことにばかり時間を費やしていました。実際シャベルではできる仕事でもないのに、時間ばかり費やしていました。
知恵のある人はできることだけをやり、そのほかは不可能だからそのまま使います。
山でシャベルで、鍬で、小道をつくるとき、下にある岩が出てきたら、そこは土だけを取り除き、その先の、土だけがある場所を道にすればいいです。そのようにしてこそ決まった時間に道をつくることができます。
○自分の人生の一日を生きていくときも、シャベルで岩を割ることのようにできないことは置いておいて、まず易しいことを先にやって生きてこそ、その日の生を生きることができます。
文章を書くときも、書くことが思い浮かばなければその箇所は飛ばして、思い浮かぶところだけを先に書いていくべきであって、思い浮かばないところで悶々(もんもん)としていたのでは書くべき全体も書けません。
難しいこと、だめなことばかりにこだわって泣きわめいて祈ることをせずに、できることを先に急いでやることを願います。知恵はあれこれ、できることを先に行なうことです。
○同じく患難と波風は置いておいて、患難と波風がないことに集中して働くべきです。患難と波風は置いておいて、そのままやり過ごせばいいです。患難と困難なことを解決しようとしているうちに行くべき道を行くことができません。そのままやり過ごすことです。
道を行く途中引っかかったら急いで迂回すべきです。行く途中岩が出てきたら割らないで、そのまま行くことです。それを割っているうちに、これから行くべき道、機会、時間が全部過ぎてしまいます。
自分の心をつくってみたことがあるでしょう?どんなに大変ですか。他人の心をつくることはもっと難しいです。
○心を御言葉で直し、つくることです。石地と山道のような心をアスファルトの道につくったら車が通りやすいです。直さなければ歩いていくのです。
○自分の正しくない姿と矛盾も習慣になったらそれが好きです。
○心を直さなければ、神様はその人によい種を蒔くことはしません。いい名前をつけるからといってその畑が肥沃な畑になるでしょうか。
道をつくるとき、石や岩が出てきたら置いておいて、まず土のあるところだけ掘って道をつくりなさいということです。
○草むらからさまざまな害虫、ヘビが出てくるように、完全でない心の畑にはサタンのヘビが生きています。
○天国でも心が輝いてこそ輝きます。天国はただ愛の光だけが光を放ちます。天国には信仰もありません。すべての肉の世界のものは天国にはありません。実である愛だけが存在します。
◎神様の中で生きたら、主はできなくてもできないとおりに助け、認めてあげ、よくできる人はよくできるとおりに認め、助け、祝福してくださいます。
主の中でよくがんばり、認められ、助けてもらって生きていくのです。親の心がそうであり、神様、聖霊の心がそうです。
2025年3月26日 水曜礼拝の御言葉より抜粋・編集 説教者:チョンミョンソク牧師