1.人は楽になろうとばかりする
2.問題を解決しなければならない
<聖書>
旧約聖書 箴言6章9~11節『なまけ者よ、いつまで寝ているのか、いつ目をさまして起きるのか。しばらく眠り、しばらくまどろみ、手をこまぬいて、またしばらく休む。それゆえ、貧しさは盗びとのようにあなたに来り、乏しさは、つわもののようにあなたに来る。』
新約聖書 ピリピ人への手紙4章6~7節『何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。』
新約聖書 マタイによる福音書11章28~30節『すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。』
まず今日の一つ目の主題である「人は楽になろうとばかりする」について話します。
人々は楽であることを望みます。飲んで遊んで食べて楽しむことばかりを願う人たちがたくさんいます。自分の健康のために運動もしないで、健康を顧みることも面倒くさがります。運動しなければならないということは分かっていながらも、運動したら体が楽でないのでやりません。それによって健康がそこなわれて10倍、100倍苦痛を受けます。
また多くの人たちは、楽になろうとばかりすることが、心にも体にも習慣づいて体質になって、自分がすべきことを自分がしないで、ほかの人がしてくれることを願います。
いつも神様は行なったとおりに報いてくださいました。そしてそれ以上は神様の意向どおりにお接しになりました。だからたくさんもらうためには勤しんでたくさん行なわなければなりません。
万物も人々が行なったとおりにだけくれます。畑も田んぼも種を10個蒔いたらその種からだけ実がなるようにしてくれます。
神様、聖霊、御子、主も人が接するとおりに接してくださいます。時代によって、その時代の人々がどのように接するのかによって、しもべとして、子女として、愛する人として接してくださいました。
○人が行なったことより神様、聖霊様がもっとよく接してくださり、助けてくださる場合もあります。神様ご自身の心だから、神様の心と意向と御心どおりにもっとしてくださることもあります。イエス様もそうなさいました。人が自分のものを自分の思うとおりにするように、神様も聖霊様もイエス様も主人の心どおりにもっとくださるのです。
しかし基本的には行なうとおりにくださいます。苦労でも自分がもっと労苦したらもっと得るから、もっと熱心にすべきです。
○人々は自分がすべきことをしなかったから得られなかったのに、「ここには神様の御心はないのだろうか?」と言います。神様の御心でも分からなくて行なわなければ御心が消えます。
○自分の認識、思考、意志のほとんどは楽な方に向きます。
○目的のために生きるためには動かなければならないから、問題も生じ、面倒くさく、大変です。経験してみると、それでも結局我慢し耐えて行なえば行なった分、10倍、100倍有益でした。
○勤しんで行なってのみ、神様の御心を成し、できないこともできます。主人である神様は行なう人にすべきことをするようにと御心をくださり、祝福もくださいます。
○神様は天使や使者たちからいつも報告を受け、また全世界のみんなを見ていらっしゃいます。人の核である心と考え、脳をすべてご覧になって、その行ないをご覧になります。
(続く)
2025年10月5日主日礼拝の御言葉 説教者:チョンミョンソク牧師



