注意欠陥で御言葉が聞けない話

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わたしは発達障害の特徴によって、御言葉を聞くことについて困ることがあります。

 

わたしは注意欠陥の特徴があり、御言葉に集中できません。

そもそも、聴覚的な情報にかなり弱いと感じます。

御言葉でなくても、長い話は全般的に集中できません。

なんかもう途中でよくわからなくなります。

 

思えば、人の話をろくに聞けたことは少ないなあとおもいました。

デッサンの講評を聞いて、終わったときには何も覚えていなくて後日同じことで怒られるし、

理科の授業で実験の説明を聞いて、さあ実験を始めようというときには何も覚えていないし、

身の上話のような長い話を聞くと、一緒に聞いていた周りの人より、ひどく疲れを感じた経験がありました。

 

長い話を聞くと、ひどく空腹感を覚え、頭が飽和状態になりました。

おなかは減ったが、頭はいっぱいだ!みたいな。

多くの人がそうなるとはおもうのですが、わたしはちょびっと程度が高めなのだとおもうのです。

 

とにかく、聞くことが苦手なのです。

ラジオなどは、途中で話がわからなくなって、何回も巻き戻しながら聞いていました。

そんなに真面目に聞かなくてもいいものだとはおもいますが。

YouTubeのしゃべってる系の動画も、テロップがないと本当に聞きづらいです。

ジャンルによりますが、1分くらいの動画じゃないと楽に聞けません。

 

あと、聞き取り能力も弱いです。

相手が言っている単語と、違う単語を連想して困惑したり、

外国の方のカタコトの言葉は半分以上わからなくなるし、

みんな聞き取れている言葉をわたしだけ聞き取れなくて、話題についていけないこともよくあります。

 

就活のグループディスカッションもついていけませんでした。

たくさんの音声情報が入り混じって、頭がぐちゃぐちゃになるのです。

パソコンに文字を打ち込みながら話せるようなミーティングは、本当に気が楽です。

 

たぶん、真面目に完璧にやろうとしていたところも、特徴について思い悩む理由だったとおもいます。

そんなに完璧でなくてもいいところを、完璧にやらなければ、と悩んでいたところもあったとおもいます。

 

でもあまりにも聞き返して、大丈夫?と心配されたこともあるので、

やっぱり人よりは聞く能力が低いんだろうなとはおもいます。

 

それでも、御言葉は完璧に聞かなくてはまずいです。しかし、いつも御言葉を聞いていると、

「ん?◯◯といえばこの前こんなことがあったな、そういえばそのときの△△は・・」

と、いつのまにか連想ゲームが始まり、ハッと気づくと御言葉が進んでいる、ということが多々あります。

 

御言葉に対する集中力は、30分持てばいい方です。

なぜ30分かというと、聞きつかれて時計を見るとき、30分は経ったなと感じることが多いからです。

 

先生には申し訳ないですが、先生が直接伝えてくださる御言葉も、本当にわからなくなります。

特に、通訳の関係で二重に音声があるので、最初はかなり大変でした。

 

しかしあるとき、先生が伝えてくださった御言葉をそのまま文字に起こした文章を読んで、とてもおどろきました。

めちゃくちゃ面白い話をしていたからです。

確かにそのような話をしていたのは記憶がありますが、

ひとつの文章、ひとつの段落として、頭の中ではつながっていませんでした。

わたしが先生と同じ韓国人なら、もっと理解ができたかもしれないなとおもいました。

 

御言葉をいつも聞き逃すから、今まで礼拝ですっきりすることはありませんでした。

お祈りが足りないのか、信仰が悪いのか、サタンにやられているのか、と残念な気持ちになりました。

もしかしたらそういうこともあるとはおもいますが、

自分の脳の特徴というのが大きな理由なのかなあともおもいます。

 

最近わたしは、気が散るたび、体を叩いたり、片腕を反対側の手でつかんでいます。

意識が御言葉にあるようにするためです。これはわりと使えるなあとおもいました。

刺激に慣れてしまうと、効かなくなってしまうのですが。

 

わあ、そうなんだなあ、これはすごいことだ、すごい発見だ、と大げさに感情を喚起させようともしました。

受動的な態度だとうまくいかないから、文字や絵を描いて、能動的な行動をしながら聞くようにもしました。

そうしているうち、少しは御言葉を聞く時間が長くなりました。

 

わたしは、そういう工夫をしながら御言葉を聞いています。と、

あるとき医療関係のメンバーに話をしました。すると

「その姿を、神様がとても愛おしくおもっていらっしゃることを忘れてはいけないよ」

とおっしゃいました。

 

私はそれを聞いて、すごい、そうだった!とおもいました。

 

いくら失敗し、計画通りにならないとしても、

最後まであきらめずに神様の願いを成そうとする姿を見て、

神様は喜んでくださるのだと聞いたことがあります。

 

成功する姿だけじゃなくて、成そうとする姿さえも喜んでくださるんだ、とうれしくなりました。

御言葉を最初から最後まで、すべて集中して聞けたことは数少ないけれども、

御言葉を聞こうとする努力と労苦はたくさんしてきました。

ていうか、しないと聞けないので、せざるを得ないのですが。

 

それを神様はぜんぶ見てくださっているし、

もしもその姿を残念におもうのではなくて、喜んでくださっているなら、本当にうれしいです。

 

自分は次元が低くて、みんなができることもできないのだと感じていました。

それが問題なのではなくて、神様の御心に向けて、御言葉に合わせて、

最大限努力しているかどうかだと感じました。

 

わたしは礼拝前に必ず、

「今日こそちゃんと御言葉を聞けるようにお祈りします」と主に話します。

 

その祈りが叶ったことは何度かありますが、ほとんど叶いません。

それでもずっと祈り続けるんだろうなとおもいます。

その祈りをあきらめてしまったら、神様の喜びも終わってしまうんだろうなとおもいます。

障害に関係なく、できないことは、できるときまで戦い続けなくてはいけないとおもいました。

 

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