[聖書]ダビデとゴリアテ、サウル王ー10代の頃から神様に没頭したダビデ

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ダビデは10代の頃から神様を愛した


寂しく、荒涼とした野原で生きるために羊を飼い、孤独と寂しさの中で笛を吹く幼い少年がいました。人は生計を立てるため、肉体のため、働かなければなりません。ダビデは食べていくために毎日羊を飼って、自分の仕事をしなければなりませんでした。彼は10代の少年で、羊飼いでしたが、彼の精神は信仰に没頭する生き方をしました。偉大な生き方です。

寂しく、孤独でしたが、その主管を受けることなく、食べていくための職業である牧畜にもすべての精神を降り注ぐことをせずに、ただ神様に精神を没頭して生きていました。讃美と感謝を捧げ、深く神様を考えて生きました。10代のとき、偉大な考えを持って生きていました。

神様は頬づえをして地上の義人たちを探しているうちにダビデをご覧になりました。彼は幼かったですが、預言者サムエルを前もって送って隠密に油を注ぎ、王として祝福をしなさいと言いました。誰にも知られず隠密に行う神様でいらっしゃいます。隠密に行う神様に使われたら、一緒に隠密に行わなければなりません。これは責任分担です。

そのときから民族的に預言者サムエルに導かれ、サウル王の前で使われるようになり、認められることを隠密に行なうように生活の状況を神様が変えてくださいました。皆さんも、御心のあるほうに神様が生活の状況を変えてくださることを悟らなければなりません。

ダビデとサウル王

神様の霊がサウル王から離れたから、神様が使っている悪霊がサウルを苦しめ苦痛を与えて、サウルは苦しみを受けるようになりました。

臣下たちが気の毒に思ってサウルに「琴がうまい人を王の前に呼んできて、悪霊が来るとき琴をひいたら、悪霊が近寄れずに離れて行きますから、さっそく臣下に命じてください」と助言をしました。

それで王はこの言葉をよしとし、「それでは琴がうまい人は誰なのか」と言ったので、一人の少年が王に「ベツレヘムで羊を飼っている、エッサイの息子で、琴が上手で、踊りと弁舌に秀(ひい)でていて、神様が彼と共にしています」と推薦しました。

サウル王は臣下をエッサイのところに送って「あなたの息子ダビデを私のところに送ってくれ」と言いました。それでエッサイは皮袋に入れたぶどう酒をロバに乗せ、子山羊を持たせてダビデをサウル王に送りました。ダビデがサウル王の前で琴をひいたところ、早速サウル王についていた悪霊たちがすべて離れ、サウルは喜びました。

ダビデとゴリアテ


ダビデと対峙するゴリアテ Osmar Schindler1888年

このことの後で、隣国のペリシテが大軍を率いてイスラエルと戦おうと攻めて来ました。彼らはイスラエルの軍隊の近くに来て、「お前たちの中で私に戦って勝つものがいれば、私たちはお前たちの家来になり、私が勝ったらお前たちが私たちの家来になることにしよう」と叫びました。

これはペリシテ軍隊の隊長ゴリアテ将軍でした。彼は背丈が6キュビト以上もありました。1キュビトはひじから指先までです。ひじから指先までは40センチを越えるから、250センチぐらいになります。背が2メートル50センチぐらいだから、ものすごく大きい人です。頭には青銅のかぶとをかぶり、足と胸は、槍と矢が通らない青銅でできたよろいをつけていて、槍を持っていましたが、槍の穂は鉄600シケルで作ったものでした。盾を持っている者たちがゴリアテを警護していました。

ゴリアテは現代の武器である銃で撃たなければ倒せないぐらいに武装をしていました。彼は死ぬまいと完全武装してイスラエルの軍隊の前に現れて、声を張り上げ、叫びました。

「サウルの家来たちよ、お前たちの中から一人を選んで私のところに送りなさい。彼がお前たちの代表として出てきて私に勝ったら、ペリシテ人がお前たちの国に仕える家来になり、私が勝ったら、お前たちの民族が私たちの民族に仕えるようになるだろう。」

それでサウル王はこの言葉を聞いて恐れ、震え上がって、どうすればいいのか分からずにいました。

この戦争の時、エッサイの8人の息子のうち、上の3人は戦争に参加したので、エッサイはダビデに「あなたの兄弟たちが戦争に出かけたのではないか。私が炒り麦とパンを与えるから、千人の長とあなたの兄弟に渡し、あなたの兄弟たちの安否を見届けて来なさい」と言いました。これでダビデは兄たちの所に行って、安否を尋ね、兄たちにも会えました。

ペリシテ軍隊の隊長ゴリアテは「私と戦うものはいないのか」と、また叫びました。イスラエルの軍人の中にはゴリアテが攻めて来るのかと思って逃げる人もいました。人々は「誰でもあいつを殺す人は王が多くの財産を与え、自分の娘を与えて、その父の家を所有できるようにする」と言いました。

ダビデはあれこれ考えずに、神様を信じないで割礼も受けていないペリシテ人に恥をかかせられていながら黙っているのかと怒りを発しました。そうして自分の兄たちにも言いました。「この軍隊の中で誰か出て行って、あいつを滅ぼせる人はいませんか。どうして震え上がってばかりいますか」と言ったら、兄たちがダビデに怒って「羊の群れは誰に任せて来たのか。戦争を見物に来たのか。早く帰って羊を飼いなさい」と言いました。ダビデの兄たちは普段からダビデのことが気に入らなかったので、一言言いました。

これに対してダビデは「私が言った言葉で何故そんなに怒るのですか。私は当然言うべきことを言ったのではありませんか」と言いました。ダビデの兄たちは「戦争を見物に来たのか。無駄口を叩かずに、早くうせろ」と言いました。
ダビデがゴリアテを見て、憤って、食い殺すほど大胆に語ったので、家来たちがその話を聞いてサウル王に告げ、サウル王はダビデを呼びました。ダビデはサウル王に言いました。「ゴリアテのために心配したり悩んだりすることはありません。私が行って戦います。」それに対してサウル王は「あなたの勇気は素晴らしいが、あのゴリアテは戦いに長けている者であり、あなたは少年なので駄目だ」と言いました。

ダビデは言いました。「羊を飼う時、獅子たちが攻めて来ると、追いかけて行って、必ず捕まえて口を裂いたし、獅子のヒゲを捕まえてあごを揺らして体を裂いて殺しました。熊も捕まえました。神様を信じもせず割礼も受けていない者たちが、神様の民族を侮辱したのに、神様が黙っていらっしゃるでしょうか。あの時のあの獅子のようになるでしょう。熊の爪と獅子の爪から救い出した神様が、また私をペリシテの軍隊から救い出すでしょう。」

サウルはすべてのことを聞いて「あなたの他にはあいつを殺せる人はいない。そうだ。神様が共にする人だけがあいつを殺して勝利できる。あなたが代表として行きなさい。私の軍服を着て行きなさい」と言いました。サウルの軍服を着てみましたが、大きくて身動きがとれませんでした。ダビデは「私は鎧にも兵器にも頼らず、普段持ち歩いている石投げの石五つと羊を飼う時の杖さえあれば十分です」と言いました。

結局、サウル王はダビデをゴリアテの前に送り、すべての軍隊と共に見守っていました。将軍ゴリアテはイスラエルの代表としてダビデが戦いに出て来るのを見て言いました。「お前が来たのか。哀れだ。そんなに人がいないのか。どうして手に杖を持って来たのか。私を犬だと思って来たのか。私はお前を呪う。お前は今日死ぬだろう。お前の肉を鳥たちと獣たちの餌食にしてくれよう。」

それに対してダビデは「ペリシテの軍隊よ、ゴリアテよ。お前は槍と鎧と軍隊に頼り、お前の頑丈な体に頼り、戦争の有利さに頼っているが、私は神様に頼る。今日、私がお前を撃って地に倒し、お前の首をお前の剣ではね、首は私が取り、体は野原の獣と鳥たちに与えて、宴会を広げさせよう。神様の前には槍も鎧も有能さもすべて無駄だ。戦争は神様に属していることを、今日お前たちに知らしめよう。」

ゴリアテがダビデに向かって近寄ってくるとき、ダビデは石投げに石をつけて前へ走って行って投げました。1発目がゴリアテの額に当たって深く突き入り、ゴリアテはうつむきに倒れました。ゴリアテを警護していたペリシテの軍隊はこれを見て、「こんなことが」と言ってわけが分からずにいました。

ゴリアテの額から血が火山のように吹き上がりました。ダビデは何かで刺したのでもなく、近くにも行かなかったのに、本当にびっくりすることでした。ダビデは弓を射ることもしませんでした。その時代の新型、石の銃を発明したのでした。石の銃弾1発ですべてが終わりました。

一対一の戦いだから、ダビデが走りよって、ゴリアテの剣を鞘から抜いて、彼の首をはね、肩に乗せて、ペリシテ人を見て話しました。「私が言ったとおりになったのではないか。神様を信じて頼る純真なイスラエル民族をこんなにも苦しめるから、神様が私を通してこのようになさった。お前たちは約束とおりにイスラエル民族の家来になりなさい。この死体は持っていくな。言ったとおりに鳥たちと獣たちの宴会の餌食になるだろう」。そしてまた言いました。「イスラエル民族よ。ペリシテの軍隊を追撃しなさい」と命じたので、みんなが突撃してそこからペリシテにいたるまで血の海にしました。

ダビデはゴリアテの頭をエルサレムに持って帰って天幕に記念として置いておきました。サウルがダビデの身元を確認したところ、エッサイの息子でした。サウルの息子ヨナタンがダビデを自分の命のように愛して、王子の軍服と弓と槍を与えて、結局軍隊長にしました。

このすべてのことは、神様が続けて働きかけたことです。ダビデは「ただ神様」の信仰だったし、食べていくための生活をしながらも、羊を飼う10代のときから神様を尊び、信仰に没頭していて、結局民族の運命を左右する人として使われました。

サウル王は7年間、数百回もダビデを殺そうとしたが


ダビデに槍を振り上げるサウル Guercino 1646年

そのあと民たちはダビデに対して「サウルは千を撃ち殺し、ダビデは万を撃ち殺した」といいました。この言葉がサウル王の耳に入ったので、サウル王は気を悪くし、「この上、彼に与えるものは国のほかないではないか」と言って(サムエル上18:8)そのときからダビデを憎み、注視しはじめました。自分があれほど悩んでいたゴリアテを殺して民族を助けたことを考えずに、妬み、そねみました。

本当に昔も今も人間の心は邪悪です。だからサウル王にまた悪霊が入り、サウルを苦しめました。誰でも、理由なしに人を憎み、妬み、嫉妬したら悪霊、サタンが入ってきてひどく苦しめます。

ダビデが以前のようにサウル王の前に行ってサウルのために琴を弾いていましたが、サウル王は槍を手にして急にダビデに向けて槍を振り上げ、壁に刺し通して殺そうとしました。ダビデは神様が共にして九死に一生を得て、槍に刺されることなく助かりました。本当にとんでもないことでした。

イスラエル民族が困難に直面し、ゴリアテの前で震えていたとき、民族とサウル王の運命を助けたのに、悪霊が入ってきたから、ありとあらゆる沙汰をしました。サウルが恐れてダビデから遠ざかったので、結局ダビデは宮殿から離れて、自由に過ごし、サウル王は神様がダビデに共にすることをわかって、恐れて過ごしていました。ダビデは自分に従う軍隊と共に、イスラエル民族を助けました。

以前サウルがダビデにペリシテ人の陽の皮(訳注:命の木の皮、異邦人は割礼を受けていないので、異邦人の男性を殺して命の木の皮を切るという意味)100を望むと言ったことがあります。それができたら自分の娘を与えて婿にすると言いました。実は、ペリシテ人の手によってダビデを殺そうと陰謀をたくらんだのでした。ダビデは自分の軍隊を率いて行って、ペリシテ人を殺し、その陽の皮200を切り取って王に渡しました。それでサウルは自分の娘ミカルをダビデに妻として与えました。卑劣なサウル王は結局娘を奪われただけでした。

その後も、サウル王は7年間、数百回もダビデを殺そうと、ありとあらゆる陰謀をたくらみ、軍隊を動員してダビデを追撃しましたが、捕まえることができませんでした。むしろ、ダビデに捕まって殺されそうになった時、ダビデは、神様が油を注いで王にしてくださった人だから敵でも愛そう、と思ってサウルを殺しませんでした。本当にダビデは主のような心を持った人です。主はダビデの子孫です。やはり竹の根からは竹が生え、王の松の木のもとには王の松が生えます。

ダビデはサウルとその軍隊に追われるたびに神様を呼び、神様にすがりました。神様は盾であり、隠れる洞窟であり、岩であり、逃れの城であり、助ける方であり、救う方であることを認めるようになりました。ただ自分を救う方は神様しかいないという考え方を持って、信念を固めて生きていました。

これによって詩篇を生み出しました。詩篇は直接経験して書いた偉大な聖書です。読む人がみんな神様を頼りにするようにし、感動を与える偉大な聖書です。ダビデが神様をどれだけ愛し、頼って生きたのか、実感を持って知ることができるし、後世の人達も記録されたものを読んで、みんな神様を認めることができるようにしました。神様は「ダビデは私の心に適うものだ」とおっしゃいました。

このような心情とはらはらする困難を通して、いっそう神様に寄り添って生きるようになりました。追われることを通して、患難を通して、苦痛を通して、結局ダビデの信仰はさらに神様に没頭するようになりました。楽だったなら、あれだけ大きい働きをしながら神様とひとつになることは難しかったでしょう。

サウル王は楽に暮らし、彼を追いかける者もいませんでしたが、神様から遠ざかり、結局その心は地獄のようになり、その体はサタンと悪霊達が使う人になりました。しかし、ダビデは困難を通していっそう神様と近くなったので、ダビデが神様に従って頼る通りに働きかけてくださいました。

サウル王の末路はこうです。隣国の大侵略があって戦争が起こりました。神様はダビデに、「あなたはイスラエルを攻めてきたペリシテのところに行って、そこにいなさい。サウルの戦争を助けるな」とおっしゃいました。ダビデが戦争に出て行かなかったので、ペリシテ軍が大勝利をおさめるようになりました。ペリシテの軍隊がサウルを包囲し、捕まえて殺す直前になって、サウルは人の手に殺されるより自殺をすると決心して、結局自殺しました。悪人の末路はこのようになります。

ダビデはイスラエルの王となった


ダビデ像(ニコラス・コルディエ作、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂)
ダビデはイスラエルの王位について、平和の歴史を始めました。その後、イスラエル民族は戦争をするたびに勝利をしました。ダビデ王は戦争のたびに神様だけを呼び求めました。過去のように神様が共になさることを知っていたので、ただ神様のところに逃れ、戦争するたびに戦争は神様にあると詩篇をとおしてその実相を啓示をもらって書き、詩で詠んで民たちに歌わせました。

このように戦争、患難、苦痛を通して、ダビデとイスラエル民族はダビデの精神に従って神様のところに逃れ、神様だけに頼って戦いました。ダビデは統一王国を成し遂げた戦争の英雄、政治の英雄になりました。戦争でも勝利しましたが、ただひたすら信仰にだけ没頭して信仰の勝利者になったのです。信仰の勝利者になれなければ、永遠な未来はなく、不幸な人生で終ります。

「緊張した生、慎む生、迫害の中の生、患難と逆境の中の生、どんな困難の中でもただ神様だけに頼り、主だけを愛して、寄り添って生きなさい。」

神様と主を更に呼び求め、天と一つになって、ダビデのような生を生き、今までそのように生きるようにして下さった神様の隠密な御心を悟って生きていきなさいという意味でおっしゃった御言葉です。

2008年11月23日 主日の御言葉
<主題>生活の中で信仰に没頭しなさい
<本文>サムエル記上17章40節から47節、詩篇5篇1節から12節まで
より抜粋

 

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