聖書を読むと、神様が<ご自身の心情を分かってくれる祈り>を聞かれて、心が解けて、「問題」を解決してくださったことがたくさんあります。
ヒゼキヤ王がもうすぐ死ぬことになったとき、涙で「神様の心情」を分かってさしあげて祈ったら、15年さらに生きるようにしてくださいました。
ダビデ王が「神様の御心」を破って自分の考えどおりにして「神様の心情」を傷つけたとき、ダビデ王が再び「神様の心情」を分かって、涙で寝床(ねどこ)が濡れるまで祈ったら、神様はその祈りを受けとって、心情が解けて赦し、御心を思い返しました。
エステルの敵ハマンが王を騙して計略を立て「イスラエル民族」に無念な思いをさせて殺そうとしたときも、王妃エステルがこのことを分かってすべての民と涙で祈ったら、神様は祈りを聞いて「その心情」を分かって、ハマンの嘘によって間違った考えをしていた王を思い返させ、王がエステルの話を聞いてハマンとその氏族を殺すようにさせました。
イエス様はゲツセマネの園で「イスラエル民族が将来、滅びること」を見て、「心情の涙」を流しました。それによって当世は神様が「イエス様の祈り」を聞いて思いとどめたけれども、その後結局陥落して滅んでしまいました。
反面、ヨシヤ王は「神様の心情」を知らずに行なっていて、しなくてもいい戦争をする中で死にました。神様はヨシヤ王を心配して、ヨシヤ王とその民族のためにネコ王を通して行なわれたのに、「その心情」を知らずに誤解して行なっているうちに死にました。
神様の心情を知らなければ、神様の心の中にその心情がそのまま痞(つか)えています。だから神様は、ご自身のもどかしい心情を解くために、時になれば行なったとおりに報いて行なわれます。
<心情を分かってくれる人>が「最高の人」です。
2022年3月20日主日の御言葉 主題 神様のその深い心情を知りなさい