[Word]ただ私神様の御心どおりに生きなさい/2025年5月4日 主日礼拝

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要約:私たちもイエス様のように神様の御心どおりになることを祈るべきです。神様の御心を成すとき、各自の意向も成してくださいます。

神様は神様の遣わした人を通してその御心を分かるようにしてくださいます。神様の行なわれることを詳しく見れば分かります。

神様の御心がないことも、自分が頑張れば、個人の次元のことは御心があるようにもなります。

神様の御心通りに生きる方法は祈り、伝道し、神様を証し、神様がしてくださったことを分かって感謝し、自分を最高の作品につくることです。

2025年5月4日 主日礼拝のみことばより抜粋・編集
主題:ただ私神様の御心どおりに生きなさい

聖句:新約聖書マタイによる福音書 26章39節『そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。』

神様が願われる御心と自分の意向

人が神様を真実に信じて愛するからといって人が願うとおりにすべて成されるのではありません。神様が願われる御心が成されます。

人々は神様を信じて愛したら自分の願いと自分の意向が成されるとばかり思っています。神様をよく信じて仕えれば神様の御心が成されます。神様の御心の中に神様が私たちに願われることがあるし、私たちが願うことが入っていることもあります。

神様を愛して信じるなら、神様の御心が成されることを願い求めるべきです。神様の御心が成されてはじめて地上天国になります。自分が願う意向が成されたからといって神様の御心が成されたのではありません。神様の御心を成せば、神様の次元の御心を成します。自分の意向が成されたところで自分の次元でだけ栄えます。

だからイエス様は今日の聖書の本文のように、神様に、ご自身の願いどおりになるのではなく、神様の御心どおりになることを願うとおっしゃいました。

新約聖書マタイによる福音書26:39)『そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。』

私たちもイエス様のように神様の御心どおりになることを祈るべきです。そうしてこそ、神様の御心を成すとき、各自の意向も成してくださいます。

神様の御心を知る方法

それなら神様の御心を私たちがどのようにして知ることができるでしょうか。大きく三通りに話します。

1)神様は神様の遣わした人を通してその御心を分かるようにしてくださいます。神様はご自身の預言者や、しもべや、世の中を救うようにと遣わした人に神様の行なわれることを分からせないで行なわれることはありません。

旧約聖書アモス書3:7『まことに主なる神はそのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない。』

時代の使命者に前もって教えてから行なわれるのは、使命者に前もって教えることで、使命者が記録して当世と後世に教え、このことを証しするようにさせるためでもあり、その時その時いろいろな御心があってそうするのです。神様は愛する人にその御心を隠さずに伝えてくださって、分かって行なうようにさせ、「その人の中に留まりなさい。その人があなたを導くだろう」とおっしゃいます。

各個人が持っている火は平素使うぐらいの火で、神様が持ってお使いになる火は太陽ぐらいです。自分の考えとはこれくらい差があるということを認識して、神様を考えて生きてはじめて、神様が行なわれることを理解するようになります。

旧約聖書 イザヤ書55章8節
わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると/主は言われる。

自分が神様と一体になったとしても、自分の心の器の次元の分、悟るようになります。ある時は神様がその次元の境地を見せて悟らせてくださることもあります。

2)自分が神様の御心どおりにするようにしてくださいと願い求めるべきです。願い求めれば、神様は神様の御心どおりに行なうのかをご覧になって、個人が悟るべき御心は分かって悟るようにしてくださいます。聖霊の御心もそのようにして知ることができます。

3)神様の行なわれることを詳しく見れば分かります。
私たちが水の行ないをどのようにして知ることができるでしょうか。作用し流れる水の行ないを見て知ることができます。火の行ないもそうです。すべての存在物の行ないもそうです。

神様が創造なさった日と月と地球、そのほかのすべてのものも、その動きと行なうことを通してその創造物を知ることができます。人も行なうことを見てその人のことが分かります。神様、聖霊、御子の御心もその行なわれることを通して知ることができます。

その行なわれることを見たときは、自分が何かを好きな心も、嫌う心もすべて捨てなければなりません。神様の御心と心を知るために神様にすべてを委ね、空けた心で祈りつつ神様の行なわれることを見なければなりません。

詳しく、最後まで見るべきです。

神様は使命どおりに話されます

「幸いな人は戦わない」と神様はおっしゃいました。しかしダビデ王とヨシュアは戦ってはじめて神様の御心を成せました。戦うとき神様が共にしてくださいました。しかしイエス様は戦ってはいけない救い人でした。だから使命どおりに話されました。このように、その時に合う理致のとおりにそれぞれ行なうべきです。

神様の御心がないことも、自分が頑張ればあるようになる

神様の御心がないことも、自分が頑張れば、個人の次元のことは御心があるようにもなります。神様の御心がない人も、自分が頑張れば、その部分では御心のある人になります。このように自分の行ないによって左右される御心もあります。自分が行なうことによって左右される予定があります。

神様の御心がある人が行なうことは神様に関することなので、神様が共に行なってくださってのみ成されます。自ら頑張っても、大きい御心のある人にはなれません。このような人はすべてのことが神様に属してのみ成されるので、自らではできません。神様と共にやるのです。

あることは神様の御心がないことだけれども、熱心にがんばれば御心になって肉体に有益になる場合もあります。またあることは御心でないので、熱心にやっても自分の労苦で終わる場合もあります。

神様と聖霊と主を愛する人には、御心でないことは聖霊が夢や万物啓示で御心ではないと神様の法を教えてくださいます。

人々は神様に尋ねないで自分なりに熱心に生きていきます。そしてうまくいけば神様の御心だと言い、うまくいかなければ御心ではないと言います。自分の考えどおりにならなくても神様の御心があります。自分の意志と考えで神様の御心を御心だと言ったり、御心ではないと言ったりもします。

人間が全知全能なる神様の真の御心をたやすく知ることができるでしょうか。小さいことは自分が行なって御心があるようにつくることもできるけれども、神様の大きい御心は自らつくることはできません。

神様の御心どおりに行なうためには、神様の御心を忘れてはいけません。

人は目をそらして見なければ忘れるけれども、見ている時は忘れません。目をそらしたら脳から記憶が消えて忘れます。脳の作用です。

脳は記憶する作用もするし、目の役割もします。脳神経、考えから忘れなければ、心の目を開いたと言います。心、考え、脳の目です。

必ず忘れる前に行なって、得て御心を成さなければなりません。

個人も自分のすべきことをしておいて見たら、いつも見るようになるから、忘れません。また自分が過去、神様の御心の中で行なったことは、現実にあっていつも見るから実感が湧くし、力を受けます。夢ではない現実だから信仰が生き返ります。いつも神様、聖霊に対して行なったことを見て力を受け、神様と一つになります。

使命者は従う人たちを見て力を受け、従う人は時代の責任を果たして実践して得た使命者を見て、力、恵み、愛を受けます。

神様の御心通りに生きる方法

それではどのようにしたら神様の御心どおりにもっと恵みに満ちあふれて生きることができるでしょうか? いろいろな方法があります。

1)祈るとき祈らなければなりません。

2)伝道したら恵みと真理と聖霊が満ちあふれるようになります。御言葉と神様を証ししたら特に聖霊が満ちあふれます。

3)神様と聖霊と主の恵みを悟って感謝するとき恵みが満ちあふれます。特に、神様と聖霊が自分のために行なってくださったしるしを悟るとき、聖霊が働きかけて、恵みと感謝が満ちあふれるようになります。神様、聖霊、御子、イエス様が病気も治してくれ、さまざまに助けしるしを起こしたことを悟れば、恵みと真理が満ちあふれるようになります。

神様の行なわれたことを分かってさし上げ、その行なわれたことを悟って使えば、恵みと聖霊が満ちあふれるようになります。

4)それぞれ各自にしてくださったことを忘れずに考え、その御心を悟らなければなりません。そうしてこそ信仰に火がついて恵みが満ち溢れて、神様がしてくださったものを貴重に使うようになります。

悟れない人は、聖書では獣のようだと言いました。

旧約聖書 詩篇49:20『人は栄華のうちにあっても、悟ることがなければ滅び失せる獣に等しい。』(新改訳2017)

人間でありながら神様の御心を悟るためには、神様と一体にならなければなりません。神様と一体にならなければ、獣のように天地万物と自分を創造なさった神様のことを分からずに生きるから、神様は獣のようだとおっしゃいます。

神様と一体になるためには救い人を通さなければなりません。

新約聖書 ヨハネによる福音書14章5-7節トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。

イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」

5)最後、五つです。神様の御心を成すためには、自分を最高の作品につくることです。どんなことでも数え切れないほど練習をして命を尽くして行なってはじめて、理想を成します。永遠な愛の作品です。

肉の世界でも作品をつくって持ち上げて見せたらみんながびっくりします。みなさんも信仰のさまざまな分野で自分を最高の作品の生につくって神様に見せてさしあげるべきです。創造目的の作品です。そうしてこそ神様が「私の心にかなう」とおっしゃいます。そうしてこそしるしが毎日起こります。

今日の御言葉を深く聞いて深く行なうことで神様の御心を成す皆になることを願います。平安を祈ります。

2025年5月6日 主日礼拝の御言葉より抜粋・編集 説教者:チョンミョンソク牧師

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