摂理は、キリスト教福音宣教会は、マインドコントロールをしているのではないか?
と言われたことがあります。
マインドコントロールとは、
・誰かの言いなりになる
・自由や主体性が奪われる
・成長しなくなる
大よそこのあたりに集約されます。
宗教において、またどの会社、団体などにおいても
マインドコントロールは非常に生産性の無いことです。
では、「マインドコントロールは生産性が無い」といえる理由はなんでしょうか?
この記事では、マインドコントロールをされる側ではなく、マインドコントロールをする側に立って話します。
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マインドコントロールの条件とは
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「誰か(教祖等)の言いなりにさせる」
誰かの言いなりにさせるには、誰かがその人に指示を与え続けなければなりません。
ずっと指示をし続けるなんて、なんとまあ骨の折れる作業でしょうか(嫌すぎる・・・)
最初はよくても、これがずっと続くとしたら?
しかも一人じゃなく、何百人、何千人、何万人もいるしたら?
考えただけで眩暈がします。
「自由や主体性を奪う」
主体性が無い人々ほど、コーチや指導者に重圧がかかります。
自らのヤル気が無い人、自ら動かない人であれば、コーチや指導者が引っ張り、動かさねばなりません。
これも本当に力が必要なことです。
自ら動かない人達をどうするか?悩んだことがある方々も多いのではないのでしょうか。
マインドコントロールが行われている世界では、
「いつかは自ら動くようになるだろう」
は夢物語。
ずっと動かない人たちの集団なのです。
そのような集団の指導者に皆さんはなりたいですか?
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マインドコントロールの結果
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マインドコントロールされると成長しない
成長しない、変化しないというのは、組織に置いて致命傷です。
人が成長しなければ、組織も絶対に成長しません。
成長しない、すなわち学習しないなら、これまたずっと教え続けなければなりません。
不毛な教育が延々と続くのです。
マインドコントロールされると、言わないと動かない人だけが<作られる>
マインドコントロールで言いなりになる人、すなわち言わないと動かない人を育てても意味がありません。
結局、その組織は100%、崩壊します。
日本の歴史、世界の歴史を見ても、現代を見ても
マインドコントロールの組織や国家が続いた事例なんて、一つもないのです。
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聖書、摂理の御言葉、マインドコントロール
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自らできずに、「これをちょっとやりなさい。あれは絶対にやるな」と主に言われてはじめてやり、隣の誰かに言われてはじめてやる人は絶対に「主人」になれません。
だからいつかは途中でやめます。なぜでしょうか?<指示をする人>が忘れて指示をしなければやらないからです。
主に言われて、誰かに言われて無理やりにすることはしないでください。‐そうしたら「主人」になれません。‐だから「行く道」を行く途中で止まるようになります。‐だから主と共に行くことができません。
2017年5月28日 主日の御言葉より
イエス様は誰かに言われて行ったりはしませんでした。自ら一生神様の御心に従って熱心に忠誠に生きて行かれました。
ある仕事を命令を受けて行なってからまた次の仕事を言われるまで待ってばかりいたら、一つの時代が過ぎてしまいます。青春は老いてしまい、若さは過ぎてしまうのです。西の山に日が暮れ、夕焼けになります。
だからいそしんで夜も昼も熱心に行ないましょう。
2000年4月9日 主日の御言葉より
神様はマインドコントロールをして、言いなりになるような人間を育てることはしません。
そもそも言いなりになるような人間を神様が育てたかったのであれば、
アダムとイブの時点で、彼らが罪を犯すこと自体もなかったことでしょう。
(罪を犯さないほうがもちろん良かったですが)
各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。
新約聖書 コリント人への第二の手紙9章7節
神様は2000年、いやそのずっと前から、自ら心で決めて動くことを人々に望まれているのです。
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摂理でマインドコントロールはできるのか?
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親でも恋人でも、自分のことを全てしてくれることはできない。
代わりにしてくれるからといってできることではない。
<自分>がしてこそ人生が回る。
明け方の御言葉より
カルト的な怪しいマインドコントロールなんぞ出来ません。
出来るなら、この地球という世界は今のような世界ではないはずです。
多分、いろんな意味でとっくに崩壊してるでしょう。
人は無理矢理では動きません。
人は機械ではありません。
人は誰かの夢をかなえるための<道具>ではありません。
だから思い通りになんて動かないし
思い通りに動かす権利は誰にもありません。
そうしたところでどうなることでしょう?
神様の創造目的を成すどころか
結局、思い通りに動かそうとした本人に全てがはね返ってきます。
今までの人間の歴史を見てもそうです。
思い通りに出来るなら誰をそのようにしたいのでしょうか?
頭のいい人なら「自分自身」と答えるかもしれません。
自分自身のコントロールって凄く大変です。
運転手がハンドルを握って車をコントロールするけれども
うまく運転が出来なければ事故になるだけです。
人に動いてもらうことを考える前に、自分が動かなくてはなりません。
何か問題がおきたとき、他責が先に来るなら誰かをマインドコントロールしたくなるのかもしれません。
しかし、他人を無理に動かそうとすれば、必ず煽りがあります。
自分自身も、誰かに無理矢理に動かされているとしたら
それがいつまでも続くことは到底考えられないことでしょう。
どこかで逃げ出すことを、やめることを考えることでしょう。
摂理でマインドコントロールがあるという話しがあると聞きます。
それは無いし出来ないし意味がありません。
自分が行なってこそその行ないによって甲斐を享受し、価値を分かって、
美しさと神秘さと雄大さを感じ、それによって興奮して、快感を感じる。神様は<人間>をこのように創造なさった。
明け方の御言葉より
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