摂理では勧誘という言葉は聞きません。
伝道といいます。
伝道とは辞書を見ると
キリスト教の教えを広めることをさします。
一般的にキリスト教の世界で使われている言葉です。
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私個人は過去、摂理と最初から名乗らず、伝道したことがありました。
何か人から言われるんじゃないか。
最初から摂理と言ったら偏見をもたれてしまい、言葉なんて聞かれないんじゃないか。
勧誘と思われて終わるんじゃないか。
そんなことが頭にありました。
日本の世間一般的に摂理の良いイメージがあれば、
逆に堂々と「摂理の教会です」と名乗っていたかもしれませんが、私はそうできませんでした。
私と同世代の人は、摂理に対して悪い認識を持っているか、はたまた忘れたか、そもそもニュースを見てないか。
どれかの人が多いと思います。
今の中高生の親は、私と同年代の方も多くいらっしゃいますね。
今思えば、隠してやることって、そんなにメリット無いです。
相手も「最初から言ってくれれば良かったのに」と思う人もいますよね。
現に、大学生達(今も摂理にいる人もいる)からそういった声を多く聞きました。
隠してやると何より自分自身が一番スッキリしない。
その人を伝道することが目的ならば
伝道することを目的とした集まりであるならば
やはり最初から
「摂理です」
「キリスト教福音宣教会です」
と名乗るのが普通です。
私の父親、母親は共に、私がキリスト教福音宣教会に通っており、チョンミョンソク牧師が収監されたことも知っています。父親は無宗教、母親は仏教。母方の祖父は、教科書にもよく出てくる伝統的宗派の寺の住職です。
海外の大半は、宗教を持っていることに偏見が最初から無いので
アメリカも韓国も台湾もマレーシアも、その他の国も
そんなに頑張って隠したりしない印象があります。
アメリカの大学での伝道
台湾 国家音楽庁にて音楽会をシムノ合唱団と共に壮大に開催
台湾のバレー大会
台湾のサッカー大会
台湾の活動は、一般のNEWSサイトなどにも載っています。
関連:台湾CGM サッカー交流 少数民族(台湾原住民)の子供達と
台湾 障害を抱えた方々と一緒にファッションショー
台湾 農村部の方々と
provider: youtube
url: https://www.youtube.com/watch?v=pmEyDEXheI8&t=2s
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src gen: https://www.youtube-nocookie.com/embed/pmEyDEXheI8
フィリピンメンバー達
日本人では例えば
ボランティア団体CGM
*CGMはキリスト教福音宣教会Christian Gospel Missionの略称
は隠してる感ゼロ。
そもそも、隠すという概念?は人によって違うところもありますが
大半の方は「伝道や何かの行動、行事で最初から摂理、キリスト教福音宣教会、教会を名乗らないこと」を指すでしょう。
私は伝道することが最大の目的ならば
やはり、摂理、キリスト教福音宣教会を名乗るべきではないかと考えるようになりました。
人によっては、最初から宗教系の話をされていたら、抵抗感が高すぎて伝道されない人もいるとおもいますが。
私は元々、教会に通いたかった人なので最初から話してもらう形が一番、私のニーズにあっていたのです。
関連:摂理に高校生の時に勧誘?伝道されました
そもそも最近は摂理といっても知らない人たちも多いし、正直、まだまだマイナーな存在です。
比べるなら私の親族の寺のほうが年末年始、人は多く来ます。
それでも私がこの22年間、接してきた摂理は
本当に素晴らしいところです。
いろいろ言われてる鄭明析牧師も、接してみればある意味、普通の人なんです。
凄い超能力があるとか、凄い財力があるとか、そういうことではなく現実的な生き方を教えてくれます。
時にはお父さんのように、時にはお兄さんのように仲良くしてくれることもあります。
ニュースとかでは皆の前に立ってる姿しか報道されないことがおおいから
なんだか教祖様、絶対服従という印象を抱かれることもありますが
一緒に焼肉屋に行ってご飯を食べたり、月明洞を案内してくれたりした鄭明析牧師は
紛れもなく親しみやすいお兄さんのようでした。
鄭明析牧師についてはこちら
聖書を分かりやすく教えてもらい、18歳だった私は水を得た魚のようにスクスクと成長しました。
学校でも職場でも、御言葉を元に話すと皆、感激する様子が多かったし
御言葉を元に仕事をするときほどうまくいくときはありません。
鄭明析牧師に不満をもったことも正直ありました。
理解できないこともたびたびありました。
でも、いつも心を分かり、接してくださいました。
摂理の教会に行きながら、大変なことも多かったことには変わりは無いけれども、
それでも私が不平不満ばかりだったところから感謝する人生になったのは
「全てに感謝しなさい」と教わったからです。
そしてそのすべてに感謝する姿を、見せてもらったからです。
今もまだ、私は1000%感謝の人生を歩めているわけではなく
最大限、それに近づこうと頑張っているところです。
だからこそ、堂々としていたい。
隠して伝道はもうしたくない。
そんなことを思う今日この頃なのです。
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摂理と裁判
日本における反対活動
摂理に再乗車ー摂理を出て戻ってきた方の記事はこちら
正体を隠して勧誘って「いわゆる宗教」になってしまうね。