摂理を脱会することってなんでしょう。
どうやったら脱会できるのでしょう。
最後は自分の意志のみです。
「摂理を脱会」聞いたことが無い
「摂理を脱会する」
という言い方をする場合があります。
がしかし、摂理の中にいてこのセリフを聞いたことがありません。
「私は脱会します」
と言った摂理人を目の前にしたことがないのです。
あるとすれば
「もう御言葉を聞きたくありません」
「もう礼拝には行きません」
「摂理を出ます」
という言い方です。
脱会するには入会しないといけない(´-ω-`)
でも「入会」と言われたことが無いので
摂理人は「脱会」と言う言い方はしないのです(´-ω-`)
もし「入会」してたら脱会と言うかもしれません。
私も
「摂理を出ようか」と思ったことはあるけれども、殆ど出てしまっていたような時期もあるけれども
「脱会したい」と思ったことはありません。
脱会とは何でしょう?
摂理人になったとはいつのことを言うのでしょうか?
「あなたは今から摂理人」とは言われません。
許可証があるわけでもありません。
入会申込書があるわけでもありません。
献金の額を膨大にしなきゃいけないわけでもありません(´-ω-`)
そんなお金はRIOさんにはありません。
献金して貧乏になったという前に、そもそもお金持ちではないので多額の献金して無いです。(誇れることでも無いですがねw)
摂理の中に強制はありません。
聖書で明らかに「強いる」は禁止されています。
神様は真心を受け取られるから、無理やりな心で捧げたものは受け取ることが出来ないとおっしゃいました。
カインの性格でも「強いる」があります。
聖書で舌を制しなさいという話があるように
「強い言葉は直しなさい」とたくさん御言葉で出ます。
(もし強制されたという思いをお持ちの方がいらっしゃいましたら、教団まで問い合わせと相談をしてみてください。)
摂理の礼拝には
「まず御言葉を聞いてみよう。礼拝に出てみよう。」
という方も参加されています。
つまりバイブルスタディを聞かないで参加するという方もいらっしゃいます。
いろんな方々がいらっしゃいます。
海外であれば主日礼拝自体が身近なので、もっとそういう方は多いです。
日本だと「主日礼拝」というものに参加するのが初めてと言う人が多いです。
摂理にいたい、いたくない、それは全て<自由>です。
自由を奪われること、例えば摂理の人が<摂理内>で監禁されたという話しなど聞いたことが無いし、
絶対にありえません。
そもそも<誰が>監禁するのでしょうか
私が何故、摂理の御言葉を聞き続けるのでしょうか?(・∀・)V
摂理の御言葉で神様のことをたくさん知れるからです。
その御言葉を自分が聞きたいからです。
私は昔から強制されるのが嫌いです。
私は誰かに監禁されたら、どんな手段を使ってでも(←)絶対にその場から脱出する自信がありますw
例え人から言われてやるのだとしても、数年しかもたないことでしょう(´-ω-`)
私が摂理にいるのも<自分の自由意思>によります。
もし脱会しようとしている方がこのPAGEにたどりついたのであれば
その方の為に祈ります(T□T)
もし傷を受けたのであれば聖霊様が全て癒してくださるように。
神様が全てを聞いてくださるように、解いてくださるように。
全てを神様の愛で包んでくださいますように。
弁護士や牧師が拉致監禁、強制棄教させる事実ーメンバーの連絡先を知るため、スマホも没収
摂理自体が拉致監禁をしたという事実があるなら、今すぐ警察に話した方がいいです。
拉致監禁は犯罪です。
逆に摂理メンバーを、脱会屋と呼ばれる弁護士の方や牧師が監禁したという事実ならあります。
他の宗教も、監禁させられている事実があります。
つい先日も、大学生メンバーが軟禁状態にあいました。
強制的に数日間、摂理を反対する弁護士&牧師、摂理を脱会した人から話を聞き続ける日々だったそうです。
しかし、最終的にはその子は脱会することはありませんでした。
本人の意思で摂理に戻ってきました。
親も今ではその子が摂理に行くことを認めていて、教会の行事に参加しています。
私も会ったことがあります。
その子の親は、だいぶ弁護士、牧師、脱会した人から怖い話をいろいろ聞いていたそうです。
このように、摂理メンバーの親を不安がらせて<子供を監禁して強制棄教をさせる>ことを促すこともあります。
脱会の事例
大学院一年生 男子
ある日突然連絡がA君と、とれなくなりました。
両親が家に来るとまでは聞いていました。
その後、学校もバイトも休んでいました。
大事な学校の研究室だったのに、行くことを止めさせられていました。
監禁状態なので自由は全くありませんでした。
後で本人から聞いたところによると、突然、両親が弁護士の元に連れて行ったそうです。
一ヶ月も学校に行けず、とても苦しかったそうです。
大学二年生 女子
地方から姉が遊びに来るとのことで、その子は空港まで迎えに行きました。
そしたら親や親せきが待ち構えていて、そのまま立川のウィークリーマンションまで連れていかれました。
当時は立川と言えば、監禁という言葉しか思い浮かばないほど多くのメンバーが監禁されていました。
彼女は一ヶ月以上、摂理に反対する弁護士や牧師などから 繰り返し 摂理の批判を聞き続けました。その間、彼女のお父さんは自営業の仕事を休んで同じく立川のウィークリーマンションへ。お母さんは仕事を辞めて、ずっと付き添っていました。
監禁につかったウィークリーマンションはガムテープで目張りがされ、絶対に出られないようになっていました。
彼女は勝手に脱走するような人でもないのに。
また、体調が悪いから病院に連れて行ってほしいと懇願しても、聞き入れるところはなかったといいます。
彼女は一ヶ月以上聞かされたにも関わらず、信仰が揺れませんでした。
ただ、摂理にもう行かないと言わないと、そこから出ることは出来なかったため
摂理を出ると 弁護士や牧師、両親に約束し、出てきました。
彼女はその後、摂理にいましたが心の傷はそう癒されるものではありませんでした。
監禁された当時、弁護士や牧師は両親に「子供の前で泣きなさい」というそうですが、その通りに両親は泣き、その子はとても心が痛かった
と言っていました。
スマホの連絡帳を全てチェックされた 大学二年生
監禁まではいかなかったものの、牧師や弁護士と両親交えて話すことになりました。
その際、摂理に行かないことを強制的に約束させられ
「他の人の連絡先知ってる?」
スマホの連絡帳は全て、牧師や弁護士に情報を握られました。
それを新たな迫害材料にするためです。
個人情報保護の問題はどこにいったのでしょうか。
監禁はあってよいことなのか?
いかなる場合においても、身体の自由を奪う「監禁」や、精神的圧迫を与える「強要」等、極限状態において信仰を剥奪する行為はしてはならないことです。
摂理を出ていく、離れる人は、大半が自分で離れていきます。それは逆を言えば、摂理が監禁したり、強制的に止めるということが無いことを意味します。わざわざ監禁をしたり、逆洗脳する必要も無いのです。
しかし何故か、脱会屋さんの弁護士さんや牧師さんは、強制棄教、監禁などをすすめます。
強制脱会にかかる費用
ウィークリーマンション宿泊代 約一か月分
摂理に反対する牧師や弁護士への支払い 約30万
などになります。
摂理からの脱会をすすめる手紙と、親の対応
ある有名国立大学に通う摂理メンバーの親は弁護士から一通の手紙をもらいました。
「あなたの子供は摂理にいっています」
「絶対に子供にあなたは摂理に行ってるの?と確認しないでください。先に弁護士に相談してください。」
「なお、この手紙は、K国立大学のご協力を得て、送らせていただいています」と書いてありました。
私の手元に、現在もその手紙が二通あります。
ひとつはK国立大学経由で、第二東京弁護士会所属・W弁護士が 栃木県在住の両親(Iさん実家)に送った手紙。
もう一つは、U国立大学経由で、同じくW弁護士が岩手県在住の両親(Oさん実家)に送られた手紙。
全く同じ手紙で、名前の部分だけ入れ替えているだけでした。
なぜ、W弁護士は実家の住所を知ることが出来たのでしょう?
国立大学は中立の立場をとるものではなかったのか、特定の団体に対して動く存在なのだろうかとも私は思いましたが
実家の住所は、国立大学側が弁護士に情報を伝えたとのことです。
そうでなければ、弁護士が 摂理メンバーの実家の住所まで どうして知ることができるでしょうか?
これは違法じゃないのですかね?
さて弁護士から手紙をもらったG君の親は何をしたでしょうか。
果たしてこれを読んでいる方は、もし自分が<G君の親>だったら何をしますか?
G君の親は、G君本人にすぐに電話をしました。
「あなた、摂理に行っているの?こんな手紙をもらったんだけど。」
後で分かったことですが、
G君の親は会ったことも無い弁護士からの連絡を信用するより
自分の子供を信じよう、自分の子供の話を聞こうと思ったとのことです。
それからG君は親と直接話をしました。
親は結局、G君を信頼し、監禁も何もさせることはありませんでした。
親は子供を大事に思ってるから、危ない目にあわなのかと不安だと言います。
それは理解できます。
ただ、自分の大事な子供の話を聞く前に、強制的に監禁をする必要が果たしてあるのかと私は考えてしまうのです。
私の両親もその手紙を見て、
「本人に確認しないで話を進めるのはおかしな話だし、とても失礼なことだ」
「<絶対に本人に連絡しないで>と繰り返し言うのはおかしい」
と、憤慨していました。
【手記】親も憤慨した弁護士・大学による脱会指南
摂理人を監禁⇒強制脱会という事実は一つや二つではありませんでした
弁護士や脱会牧師と呼ばれる人達を交え、最後は強制的にスマホを取り上げられ、スマホの中身を全てチェックされ、誰が摂理のメンバーなのかまで全て調べ上げられていました。
体調が悪くても病院にも行かせてもらえず、小さなウィークリーマンションの一室で、何時間も摂理は悪いと聞かされ、それが一ヶ月以上続きました。
その間、外部との連絡は一切遮断、学校にも行かせてもらえませんでした。
関連記事:金銭要求と「脱会ビジネス」
摂理メンバーを監禁する前に
G君の親のように、まずは子供の話を聞いてみて、そして摂理の礼拝に来て
直接、摂理の牧師達とも話してみてはどうでしょうか。
強制的に牧師達は話したりしません。
その上で判断したらいいのではないでしょうか。
実際にこのように多くの親達が、最初は摂理を怪しいと思って、礼拝に行ってみました。
何度も行ってみました。
結果、子供を信頼し、親も公認で摂理に通っているという人もたくさんいます。
摂理を悪く言う方々とも話し、摂理の牧師とも話し、最後はご自身で判断された親達がたくさんいます。
話しを聞かないうちに、自分の可愛い子供を拉致監禁するのはとても子供にとって悲しいことです。
拉致監禁をした、自分の話を親に最初に聞いてもらえなかったという摂理メンバーは今でもそのショックを抱えています。
だから先に話をぜひ聞いてあげてほしいです。
摂理自体は絶対に拉致監禁はしません。
もしそのようなことがあるのであれば、それは摂理ではありません。
「親とも連絡をとって、実家に帰った時にも親の手伝いをしたりよくしてあげなさい」
「親は今まで苦労してあなたを育てたんだ。」
摂理の御言葉でもこのような話があります。
これを読んでいる親兄弟の方。愛する子供がどうなってしまうか心配かとおもいます。
しかし、どうか一度でいいから自分の子供を信じて話しを聞いてあげてほしいです。
判断はそれからでも遅くないです。
私も今では、大学生の子達の親世代です。
皆さんが大切に育ててきた子供だからこそ、その子供は立派に成長し、懸命に判断しています。
摂理の牧師達も、必ず皆さんの話を親身になって攻撃せずに聞きます。(親身になって聞いてくれなかったら、苦情を伝えてください)
皆さんの子供は、親が今まで育ててくれたことに本当に感謝し、そして愛しています。
そのように親兄弟への愛を摂理で学んでいるのです。
親に心配かけないようにー最初から拉致監禁を考える親はいない
・今まで実家によく帰ってきてたのに帰らなくなってきた
・電話で連絡一つもしない
・学校に行ってないようだ
・会社を休んでるようだ、勝手に仕事を辞めたようだ
これが摂理メンバーがしていることであれば、メンバー側も悔い改めることが必要だと思います。
両親を心配させてはなりませんから。
別に礼拝を休んで実家に帰ったっていいんです。
もしかしたら休んじゃいけないと思い込んでる人もいるかもしれません。
でも鄭明析牧師は、ソウルに宣教に出ていたとしても、連休や日本でいうお盆などは実家に必ず帰っていたといいます。
最初から拉致監禁を考える親はいないのです。
何か普段と違う、連絡もとれない。
そうしたとき、両親は不安になることでしょう。
そのような状況の時、弁護士から手紙が来たら連絡が来たら、どう思うでしょうか。
拉致監禁は絶対に良いことではありません。
でも私達摂理メンバー側も、信仰者でありながら親を心配させるような状況があるなら改めねばならないと思うのです。
<親を心配させて良い>なんてことがどこにあるでしょう。
例え自分の信仰を分かってくれないことがあったとしても、自分のかけがえのない親なんです。大切にすべきではないですか?親がもっと幸せになれるように祈るべきではないですか?
脱会したいと考えている方へー私が摂理を離れた時
私は摂理を離れたことがありました。
離れる前は、誰にも言いませんでした。
それは私自身、帰ってくるつもりだったからです。
「ちょっと離れてみたい」
そう思って、当時ルームシェアしていた家から出ていきました。
その離れていた期間は約一ヶ月ほど。
短いですか?長いですか?
私には長かったです。
不思議なんです。
すぐ戻ろうと思ったのに、なぜか戻れなくなってしまいました。
今思うと、サタンに掴まれていたのでしょうか。
結局、私は最終的には戻ってきたのですが、出ていく前の私に、いえるならいいたい。止められるなら止めたい。
今でもそう思います。
言いたいことは
「お疲れ様。神様は全て分かってる。だから安心して。誰も分かってくれてもくれなくても、神様が全て報いてくださる。
疲れたなら聖霊様に癒してもらったらいい。賛美をたくさんしたら疲れがとれるよ。それすらしたくないなら、延々と寝てみてもいい。
でも毎日、神様にたった一言でいいから、文句でもいいから思ってることを打ち明けてみて。必ず神様は答えてくださるよ。」
過去に戻って言えるのであれば、このことを言いたい。
そして過去の自分の為に、手をとって祈ってあげたい。
神様を愛することからやりなさい。
あなたの罪を悔い改めて、神様のところに来なさい。
あなたが足りないと思って落胆することが神様をつらくさせることだから、
絶対にそのような考え、足りないと考えないで、あなたのありのままの姿で
神様のところに来なさい。
あなたの存在それ自体で、神様はあなたを愛して喜び、力を受けるのです。神様を愛する人たちが
神様のために何かをして差し上げることができないと
落胆する人たちのほうがもっと多いです。それが重要なことではないのにです。
神様は、あなたが神様を愛しても愛さなくても、罪の中にいても、
あなたを愛し、今まで導き、
変わらず愛してきたことをあなたは知っているのではないですか。あなたたちは神様が、あなたたちが神様によくする時だけ、
また、とても信仰が良く、神様を愛して何か熱心にする時だけ
あなたたちを愛すると思うのですか。
もちろんその時も神様のために
あなたたちが何でもしてくれるから、とてもうれしいです。しかし、あなたたちが神様の愛に対して報いなければならないと思って、
神様によくしてあげられないと言って、
その愛に釣り合う愛をしてあげられないと言って、
神様が期待する分、してあげられないと落胆しないでください。
悲しく思わないでください。神様にはそれが重要なことではないのに
あなたが神様にしてあげられないことでつらくなるなら、
神様は「神様が与えた愛が負担なのだな」と思うのではないですか。それでは、神様が今まであなたに与えてきた愛はどうだっただでしょうか。
あなたに今まで与えてきた愛について、考えが深くなるのではないですか。
神様が理由もなく愛してあげたのかと考えたりもするし、
また、神様がそれほど愛さずにいたなら、
あなたたちがそのように負担を感じずに
もっとうまくできたはずだという気もしてきて、
神様の心が悲しくなります。だから、神様の愛が負担になると言わないでください。
神様の愛に報いようと心を砕かないで、
それがために足りない自分を見て、落胆しないでください。
それが神様を二度殺し、神様をもっと悲しませるから、
ただ神様の愛をありのままに受けて、喜び、楽しめばいいです。
「愛してくださり、神様に共にしてください」と言えばいいです。あなたがしてあげられなかったことが思い出されるのですか?
悔い改めて、もう一度やればいいです。
そのできなかったことで意気消沈し、落胆しないでください。
天の愛を受けながら、そうしないでください。
感謝し、そのことで愛がもっと熱くなれるようにとしてあげたのであって
あなたにつらい思いをさせるためにしたことではありません。サタンは神様の愛をそのように感じさせて、あなたの心を落胆させ、
神様が与えた愛を無意味にし、恥ずかしくさせるのです。
神様は何の期待もなく、何の邪心もなく、あなたを愛したのに
あなたはそのことを神様に報いなければならないと思うのですか?それは世の中でするような、計算的な愛の思考から出てきたものではないですか。
神様が愛してあげた分、あなたが神様を愛さなければならないと
神様がいつ話したのですか。世の中はそうでしょう……。
自分がしてあげた分、願い、その分、相手が愛してくれてこそ自分が愛されていると信じます。
神様はあなたにその愛を願って与えたのではないから、そのことに縛られないでください。
ただ神様のこの純粋な心を受けてください。
神様のこの心を受けて反応し、喜ぶ姿、
神様が与える愛が好きで、ただ喜び楽しんで、
愛が爆発する姿を見たいのです。その場でそのような心になれなくても、努力してみればいいです。
神様が与えた愛がうまく感じられなくても
神様の愛をそのまま捨ててはいけません。
愛がうまくいかなくても、考えてみて、感じてみて、
神様がこのようにあなたを愛し、見守っているということを
忘れずに頑張りなさいということです。
神様の愛を信じて、再び立ち上がり、
サタンより神様があなたをもっと愛しているから、それを信じなさいということです。
愛して表現し、愛してあなたに話し、感じるように神様はされます。だから、ぜひともその愛の心を閉ざさないで
神様の愛をそのまま受け、感じてみなさい。
あなたの心が何度も世の中の愛に凝り固まり、
あなた自身の考えに凝り固まるから
神様の愛であなたを溶かそうと、あなたを生かそうと
愛していると表現し、話します。まわりの人を通して話してあげ、
御言葉で気をもんで話し、
あなたが目を開けた瞬間から万物で、
あなたが目を閉じ、眠る瞬間から夢で、神様は現れます。どれほど愛すれば、24時間あなたに話し、現れるでしょうか。
だから、どうか神様の愛を悟って、立ち上がりなさい。
サタンにその体と脳を差し出さないで
神様の愛に反応し、神様のところに来なさい。
神様は、あなたを絶対に奪われたくないから、話をするのです。
あなたが神様の言葉を聞き取れなくても、神様を感じられなくても
絶えず話をします。
このような神様の愛を信じなさい。神様は、永遠にあなたを愛します。
2016年12月6日 摂理の御言葉より
旧約聖書 イザヤ書1章 18節
主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。
新約聖書 ヨハネによる福音書3章16節
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
新約聖書 ペテロの第二の手紙3章 9節
ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
何か私が過去、傷を与えてしまったことがあるなと今でも深く悔い改めます。
主はいつも、兄弟同士、メンバー同士、人間同士、傷を与えてはいけないとおっしゃいます。
<言葉と行動>は「人格」を現す。
<言葉と行動>を見れば、<自分の人格>を隠せない。
御言葉さえ聞けば変化するのではない。主の御言葉を聞いたなら、自分の矛盾を直し完全に行なってこそ、変化する。<人格>の上に<信仰>が入り、<主の御言葉>が入る。
<人格>が磨かれていなければ、その上に「信仰」が入っても光を放つことができず、「主の仕事」をしても自分の主観どおりにし、「指導者」になっても人たちが避けたがる。結局御子も認めず、その線までだけお使いになる。
人格が磨かれていない人は大きく使うことができない。隠れたものは、結局すべてあらわになる。
<神様の歴史>もあらわになり、<御子>もあらわになり、<主>もあらわになり、<真理>もあらわになり、<悪人>もあらわになり、<サタン>もあらわになり、
<偽り>もあらわになり、<人の言葉と行動>もあらわになる。結局行なったとおりにあらわになり、行なったとおりに受けるようになる。
兄弟に「傷」を負わせたら、自分もその分だけ痛い。
兄弟に恵みを与えたら、自分もその分だけ嬉しい。
行なったとおりに受けることが<公義の法>だ。人々は自分がよくできなくても「うまくやっているふり」をよくするし、兄弟に「言葉と行動」をみだりにして傷を負わせていながらも「そうやっていないふり」をよくする。しかし、「そのようなふり」は結局あらわになる。
「偽物の宝石」は、時間が経てば色が変質し輝きが色あせるので、結局「偽物」だということが分かるようになる。このように「うまくやっているふり、分からないふり」は結局あらわになる。
だから、間違いを犯したら、悔い改めなさい。兄弟に傷を負わせたら、間違いを認めて悔い改めなさい。言葉と行動をみだりにする人は、それが「体質」になっていて、自分が間違っているとも知らずに、習慣的に行なう。そうして結局、自分が蒔いたとおりに刈り取るようになり、自分が行なったとおりに受けるようになる。
言葉と行動をみだりにして兄弟に傷を負わせることが「体質」になってはいないか、「慢性的な病気」になってはいないか、急いで自分を顧みて直しなさい。
言葉と行動をきつくして他人に傷を負わせる人は、その中に御子がいないから、しきりに繰り返すようになる。
そのような人たちは結局、御子に会えなくなり、黄金の城も見ることができなくなる。だから、必ず直さなければならない。2014-12-22 -摂理 キリスト教福音宣教会 鄭明析牧師の箴言より
摂理を脱会する前におススメのこと
私個人がおすすめすることです。元気ない時にもおすすめです。
自分の所属している以外の教会に行ってみる
可能なら海外の教会に行ってみる。
東アジアであれば、旅費や滞在費は割と安く済む。
マレーシア、台湾あたりは日本人と全く違うのでおススメ(笑)
ハワイもリゾート地でそれだけで癒されるし、メンバーはかなり明るい。
ベトナムは料理がかなり美味しい。メンバー達、ベトナム人たちは本当に素朴で優しい。
アメリカやカナダは英語が可能ならぜひとも。
時間と金銭的な余裕があるならヨーロッパ、ドイツ、南アフリカあたりもおすすめ。
海外が難しければ、自分の地域以外、例えば関東に住んでいるのであれば、関西、九州、四国、沖縄、北海道、東北など。
時間的に厳しければ、隣りの教会に行ってみるのもいいですね。
けっこう雰囲気が違ってビックリだったりしますよ。できれば一日ではなく数日、数か月単位もいいですよ。
私は沖縄に行きたいんですけれども、お金ためなきゃね(笑)
自分の教会=摂理ではないんです。
仏教のお寺も、同じ宗派でも全然違うってあるんですよ。住職だった祖父はお寺を二つ持ってましたが、住職が同じだったとしても全然違うんです。
一人で延々と賛美しまくる
平日の昼間など、人があまりいない時間帯に教会で賛美するのがおすすめ。
自然の中などでもいいかも。
神様に打ち明ける
神様に、自分の心を正直に全て祈りで話す。不平不満でも構わない。神様に対しての愚痴があったらそのまま言っても構わない。神様も話せば必ず答えてくださる。
いつもよりたくさん寝てみる
寝る前にはあまり食べない。胃がもたれて疲れるから(笑)
最後に
韓国でも日本でも台湾でも、そして他の国でも
人が何を言うにしても言わないにしても
結局は自分自身が最後は判断することですよね。
私も自分で判断してきました。
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正体を隠して勧誘って「いわゆる宗教」になってしまうね。
投稿が見つかりません。
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摂理と裁判
日本における反対活動
摂理に再乗車ー摂理を出て戻ってきた方の記事はこちら