鄭明析牧師(チョンミョンソク)

目次

鄭明析牧師の経歴

1945年 誕生

1952年 チンサン小学校入学
1955年 9歳で教会に通い始める
小学校卒業後は家業(農業)を手伝う
1967年 21歳 軍に入隊
1966年8月 ベトナム戦争 第一次派遣
1967年9月 帰国
1967年10月13日 ベトナム陸軍司令官と韓国軍陸軍参謀総長 蔡命新(チェ・ミョンシン)将軍から戦功表彰状を授与される
1967年10月 ベトナム戦争 第二次派遣
1969年9月 帰国後、花郎勲章と仁憲勲章を授与される
戦争で得た資金をソンマン里のプロテスタント教会建築費用として献金(今もソンマン里教会は実在)

1973年 26歳 本格的な伝道・修道生活を始める
1978年6月1日 33歳 ソウルへ上京
1981年 MS宣教会(現キリスト教福音宣教会)を設立
1983年 ウェズリー神学校に入学、クリスチャン・ゴスペル・ミッション(CGM)の構造をより詳細に整理
1989年 故郷 月明洞の開発を始める
1992年5月 韓国100都市に教会が設立
1989年12月 「霊感の詩」1巻出版
1990年6月 「天の言葉 私の言葉」1巻出版
1995年11月 月刊<文芸思潮>新人賞、詩人登壇
1996年5月 「霊感の詩」2巻出版
1999年1月 本格的な世界宣教に出発
ヨーロッパ・アメリカ・アジア各地へ
1999年8月国際文化芸術平和協会GACPを創設
フランス、ドイツ、イタリア、イギリス、アジアやアメリカなど様々な人々が参加
1999年8月 フランス・パリ「第1回国際平和サッカー大会」
1999年10月 イタリア・ミラノ「第2回国際平和サッカー大会」
2000年4月 ドイツ・シュツットガルト「第3回国際平和サッカー大会」
2000年9月 イギリス・ロンドン「第4回世界親善サッカー大会」
2001年 ボランティア活動を行うCGM奉仕団を設立
2001年 国際代替医療大学医療研究センター(The Open International University for Complementary Medicines:OIUCMED、http://www.oiucmed.net/)から博士号を授与される
現代医学では治療困難とされる病気(精神疾患等を含む)を約25年間癒してきた功績が認められたため
2001年4月 台湾・台北「第1回アジア平和杯サッカー大会2001」
2001年8月 アメリカ・ハワイ「第5回世界平和交流大会」
2002年8月 韓国・大田「第6回GACPカンファレンス」
2004年7月 「天の言葉 私の言葉」2,3,4巻出版
2005年3月 「救いの御言葉」「天の言葉 私の言葉」5,6巻出版
2007年 中国の公安当局から身柄を拘束されて取り調べを受ける
捜査が進むにつれて、鞍山市中心病院で告訴した女性の一人が「正常、暴行された形跡なし」と診断される。また事件現場近くにあった防犯カメラで、ほぼ同時刻に同女性2人が笑顔で歩いていたことが判明するなど、反対者側の捏造工作が明らかになる。
2008年2月20日 中国の公安当局は婦女暴行の事実を認定せず、嫌疑はないと潔白が証明され、韓国に送還される
2009年 韓国にて懲役10年の高等法院判決が確定
2011年1月 アルゼンチン・アートフェア2011UWA Perth International Arts Festival に絵「運命」が代表作として選定
2011年3月 韓国100年史詩人に公式登載
2013年7月 「霊感の詩」3巻、「詩の女」「詩で語る」出版

2013年 高麗大学放送とソウル教育放送が共催で毎年開催している「 最も美しい人」にノミネートされ、ソウル文学賞を受賞
霊感を受けて執筆した詩集が、韓国文学で低迷していた詩というジャンルをよみがえらせるものとして高い評価を受け、ソウル文学賞を受賞。同ノミネート者には他に、元国連事務総長の潘基文氏や女優の崔志宇(チェ・ジウ) 氏ら。

2017年7月22日 詩集「幸せは来る」韓国で出版

随時追記中

 

 

経歴詳細

誕生

鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師は、韓国が日本の統治から開放された1945年、その年の3月16日に忠清南道錦山郡珍山面石幕里タルバッコル(現、月明洞)で、6男1女の三男として誕生。

幼少期 飢餓との闘い

生家は極限の貧困状態。約150年経った平屋は、外壁が土で覆われ、屋根は藁葺き。食料の調達は困難を極めた。
彼が5歳の時に朝鮮戦争が勃発(1950年)。1953年に休戦。戦後の韓国は貧困と飢餓はより一層深刻に。彼の実家でも日々生きていくのがやっとの生活。わずかな食事が底をつくと、何日も飢える日々。全国的な食糧難の中、チンサン小学校に入学。様々な木の実、野草、葛の根を掘って食べ、空腹を満たした。

このような過酷な現実の中で、彼は人生について深く考えるようになった。「こんな先の見えない人生なら生きている意味が無いのではないか。どうしてこんなに貧富の差があるのだろう。神様はどうして人間を創造したのだろうか。貧しい人を見て、神様は心が痛まないのだろうか」と疑問に思っては、まだ知らない神様を求め、もがき苦しむ日が続いた。

聖書との出会い、教会に通い始める

彼が住む山奥に小さな教会が建てられることになり、家ごとに聖書が配られることになった。切実に神様を求める中、聖書を開いてみると、「神様から人間に対するメッセージ」があまりにも多く書かれていることに、彼は大きな衝撃を受け、感動のあまり激しく涙を流した。彼は「聖書に書いてある通りに生きるんだ!貧困からも抜け出せるに違いない!そして神様に会えるかもしれない!」と強く決意し、大人でも読むのが容易ではない聖書を、毎日読み始めた。そうして、9歳の時、本格的に教会に通い始めるようになった。

苦悩の中にいても、聖書の言葉、神様の言葉を、とにかく少しでも実践しようと、彼は幼いながらも努力します。
関連:小学校で配給された粉ミルクを弟たちに分けてあげた話

祈りの日々

小学校を卒業すると、彼は家の農業を手伝う(麦刈り・脱穀・畑の雑草刈り・薪拾いなど)ため、中学校進学を断念。急な坂道を、薪を積んだ重さ数十キロもある背負子(しょいこ)を背負って何度も登ったり下りたり、多くの農作業に疲労は毎日極限状態にまで達した。農作業の時はいつも聖書を持ち歩き、仕事の合間にも事あるごとに木の下で祈りました。

またこの頃、生後間もなく患った大病の後遺症から「どもり(言葉が円滑に話せない疾病)」にも悩まされ、コミュニケーションがうまく取れず、村の人々や家族からも軽んじられていた。

彼は、小学校を卒業しても何も変わらない現実、むしろ悪化していく状況を憂い、環境を激しく呪い、何度も神様に、怒りをぶつけるように、涙ながらに祈った。家の農業を手伝いながらも、夜になると洞窟の中で聖書を読み、祈りを捧げ、時には朝になっても家に戻らず一日中洞窟にこもって祈り続け、また時には近隣のテドゥン山に登り、マイナス15度以下になる冬でも、雪の中で何時間も祈り続けた。時には聖書ではなく他の本も読んだが答えは得られなかった。
もがきと苦しみの末、イエス様から人生を学びたいと思うようになった。
詳しくはこちら

 

伝道へ 述べ伝える日々

彼の祈りは徐々に変わっていった。
「自分は貧しい環境の中にいるみすぼらしい存在だったが、人生のむなしさを知り、神様を知り、その愛を知った。しかし、そうなると、神様を知らないまま生きるあの多くの人々が、あまりにもかわいそうだ」彼はいつしか自分自身のための祈りを超えて、個人・家庭・民族・世界のために、切実に祈るようになっていた。

神様・イエス様の愛を悟った彼は、時間があれば、とにかくその愛を伝えるために町へ出かけて、老若男女問わずのべ伝え、なけなしのお金が手に入ると、自分の好きなものを買うことを我慢し、教会へ献金することもあった。聖書を続けて学び、学んだことを一つ一つ実践して生きた。「神様を愛することは、神様が望むことをして生きることだ」。

ベトナム戦争へ

1966年、本格的にベトナム戦争へと突入。韓国もまた、ベトナム戦争への参加を決定。
そして鄭明析牧師(当時21歳)もベトナム戦争への派遣が決定した。

 

以降、随時追記中

 

鄭明析牧師についての報道NEWS

鄭明析総裁、言論の歪曲報道で数年にわたる人権侵害被害

キリスト教福音宣教会の鄭明析牧師(総裁)が8年以上服役中だが、2013年10月パク・ポンゲ国会議員が大田(テジョン)地検の国政監査で、「(鄭明析総裁が)様々な特恵を受けて服役中である」などと、根拠も無く疑惑を吹聴し、そのことを報道資料を通して言論に流した。

そして多くのメディアが断定的に『特恵を受けて服役中』と報道したのだが、法務部は『特恵は無い。』と解明し、パク議員の疑惑提起は単なる騒動に終わった。

しかし、間違った報道が流れてから3年目である2016年現在もなお、「鄭明析」と検索すると、「教祖」であったり「特恵疑惑」、「豪華収監生活」、「刑務所は豪華別荘」、「主日の御言葉で録音説教伝える」など、歪曲された報道が公然と並び、鄭総裁の人権が侵害されているということが確認されている。

摂理の鄭明析牧師

受刑者であっても人権は保障されるべきであり、名誉を棄損されてはならないはずである。
妊娠した婦人受刑者がいるのであればその人には出産をする権利があり、受刑者にも病気を治療する権利があり、罪と名誉は別個の部分であるはずだ。

パク・ポンゲ国会議員は、自身の疑惑提起によって誤解や名誉棄損等、数年にわたって被害を受けている鄭総裁に対して心から謝罪するべきであり、歪曲報道された記事に関して該当言論社に適切な措置を取らせる努力をしてこそ、良心があって自覚のある「正しい政治人」だといえるだろう。

原文記事 : http://www.urinews.org/
翻訳元記事:摂理マンデー

 

2015年3月16日 韓国のYTN放送局が鄭明析総裁関連報道に関する訂正報道文を掲載

韓国のYTNという放送局が以下の文章を掲載致しました。

本放送は、過去2014年5月22日から7月26日までの間に放送された内容のうち、
「JMSの鄭明析総裁が女性信徒に性的暴行をして外国に逃亡したが、中国公安に捕まり送還された」
「密航した」
「女性信徒たちから性接待を受けた」
という趣旨の言及をしたことがありました。
しかし、確認の結果、鄭総裁の性的暴行容疑は検察で嫌疑なしとして処分されたものであり、鄭総裁は、当時の通常の海外日程を消化した上、複数回入国し、検察の取り調べを受けたため、関連報道は事実と異なり、性接待疑惑も嫌疑なしと処分されましたので、該当報道を訂正します。また、「JMS」の称号は、宣教会の公式名称ではないことが確認されましたので、「キリスト教福音宣教会」に訂正します。
記事原文 : http://ytn.co.kr/_ln/0103_201503161004314232

 

2017年4月10日 台湾で詩集販売 中央社新聞掲載

掲載文章はこちら
鄭明析牧師の詩集が、台湾の一般書店で販売開始 中央社新聞掲載

 

2017年11月10日 台湾大手メディア聯合新聞に掲載 10年のもどかしい人生

掲載文章はこちら
鉄のカーテンの中の逆境学 10年のもどかしい人生ー台湾大手メディア聯合新聞に掲載

 

2018年1月25日 台湾有力紙 新新聞に掲載 鄭明析牧師10年 鉄のカーテン逆境学

掲載文章はこちら
鄭明析牧師10年 鉄のカーテン逆境学ー台湾有力紙 新新聞に掲載

 

鄭明析牧師の話

鄭明析(チョンミョンソク)牧師の幼少期-両親の子育て

決して裕福だったとは言えず、時には何も食べられない日もあったという鄭明析牧師(以下、先生)の幼少期。

「あまりにも貧しくて、子育てを諦めそうになった」と過去を語った先生の両親。

その中でも子供達を育て上げた両親の子育てとは。

 

栄えていなかった先生の故郷

月明洞過去

先生が
住んでいたタルバッコルは
家が何軒かしかない村でした。

しかし
その下の村である大きなソンマンリは
家が80軒、90軒くらいもありました。

そのソンマンリの村の人々は皆
土地に神経を使っていて
畑や田んぼを沢山持っていました。

そして経済にも神経を使っており
お金をもっていたので
タルバッコルにいる人達は
仕方なく彼らから
お金を借りて使ったりしていたのです。

月明洞過去

月明洞の昔の姿

先生が故郷を出る直前まで
30年近くもそこにいながらも
畑や田んぼが1坪もありませんでした。

畑や田んぼは目の前に
すぐ門の前にある土地であっても
むしろ他の地域に住んでいる人たちが
先生の前の土地を所有していたのです。

 

子育てを諦めそうになった先生のお母さん

先生の両親は
子供を7人も産んで育てていたので
あまりにも経済的に苦しく
ほとんどあきらめる直前まで行きました。

 

先生のお母さんは
「このままでは子供達が全部死んでしまう
山菜売りでもしなくては
このままではいけない。」
と言って山菜売りをしたりしました。

 

そしてそれを売りに出ていくと
だいたい御飯3人分が買えましたが
ある日はひとつも売れなくて
山菜をそのまま頭の上に載せて
運んで帰るところで
大きな貯水池に落ちてしまいました。

それで、水泳ができないから
「水の中から出ないでそのままいようかな」
と思ったそうですが
向こうから先生のお兄さんと弟が
お母さんを待っている姿を見て
再び力を入れて
やっと這って出てきたそうです。

その日の夕飯に
お母さんは
何も持って来ることができなくて
先生はその次の日まで
何も食べれませんでした。

先生はこのように話しています。

「もしその時に、先生が
30日、40日の断食を学んでいたなら
そんなにお腹を空かせることは
何でもなかったと思う。
むしろ沢山食べない方が
もっと恵みになるんだ
と言ったかもしれない。」

 

貧しい中でも子供達を育て上げた両親

鄭明析チョンミョンソク牧師の家族

先生の家の部屋は
2m×2m50cm位の部屋が2つ
それも壁が曲がってへこんでいました。

天井は広いが実際の部屋は狭く
その部屋で9人の家族が住んでいました。

鄭明析チョンミョンソク牧師の昔の家

その大人数の家族が
狭い部屋の中
皆重なり合って生きていたのです。

それでも冬にはそれなりに生きていた
とのことですが、
夏にはサウナのようで暑くて暑くて
到底我慢できなかったといいます。

そうやって、158年もたった
古くて狭い部屋に住みながら
先生の両親はそれでも

「突き進めて子供達を育ててみよう
そうすれば未来は違っていくだろう」

と言って最後まで子供達を育てました。
そうしながら歳月は流れていきました。

 

最後には人を育てるところが一番成功する

先生の両親は苦労しながらも、本当に立派な子育てをされました。

 

ある老人の預言ー10代の鄭明析牧師

鄭明析牧師は10代からさまよう道に入り、人生の問題にぶつかり、頭を抱えて生きなければなりませんでした。
頭の中で経験する苦痛というのは、誰かが隣で治療してくれるといって治療できるものではありませんでした。

その精神的な苦痛は骨が痛くなり、また骨をけずる苦痛でもありました。
経験したことのある人は、うまく理解できるはずです。

 

悩みの内容は

1:貧しい村で生きる貧しさによって生じる貧富の格差。

2:学問をしていないという無学の苦しみ。(鄭明析牧師は小学校が最終学歴)

3:環境的なことから来る苦しみ。さみしく、わびしい山奥に住んでいること。鄭明析牧師が育った場所は夢も望みも全くない山奥であった。

4:ブ男というコンプレックス。

5:どもるということ。
鄭明析牧師にとっては言語の壁は大きな苦しみでした。
その当時には考えることはできますが、うまく表現できませんでした。

6:心の限界をさとり、私の無知を嘆き始めたこと。

7:人生の進路の悩み。

8:家庭で親や兄弟たちから軽んじられたこと。
その度に受ける疎外感は言葉では言い表せるものではありませんでした。信仰生活はしていましたが、信仰が自分の生活とは別のものだったので、いつも惨めでした。回りから「あなたが何をしていると言っているの」と言って軽んじられました。信仰が深くなればなるほど、目の前はもっと高くふさがれたのです。

9:村の人からみすぼらしい姿について指摘を受け軽んじられたこと。
村の人には鄭明析牧師が「気が狂った」と言われても当たり前のことになってしまっていました。
神学を学んだという信仰の先輩たちからも「気が狂った」という扱いを受けました。
村の人は鄭明析牧師と接する度におかしな扱いをしていました。

 

このような心の苦しみがものすごく大きかったのです。
誰一人、鄭明析牧師をほめ、将来の希望を語ってくれる人がいませんでした。

しかしただ一人が、鄭明析牧師に希望のある話をしてくれました。

 

 

テジョン市街バス駐車場の隣りにあるカトリックの教会の塀の前に座って占いをしている一人の老人がいました。

鄭明析牧師がそのそばを通ると、その老人が私を呼び止め、手を握って手相を見てくれました。

鄭明析牧師の手相をみて驚き、「あなたの将来を見てみると、世界を一つの国のように軽く見て治める者だ」という話をしてくれました。

鄭明析牧師はその時に、話にもならない話だと思って
「私は忙しい人です。どんなに時間が惜しいか知っていますか。私が見てほしいと思って見てもらったわけではないが、お金を受け取って下さい」
といって、300ウォンをあげたら、老人は腹を立て
「自分はお金のためにやったわけではない」
と叫び出しました。

そして老人は
「大きな人がどうしてそのように接しているのか」
といって鄭明析牧師を叱ったのです。

「後になってあなたが世界を歩き回るときに確かに私の話をするはずだ。
そんなに時間が惜しければ行く道を進んでいきなさい」

その話を聞くと、どうしてか心が引かれ、どうすれば成功できるかと老人に聞きました。

すると
「天に従う者になる時、成功するんだ」
と答えてくれたのです。

 

自殺をしようとした鄭明析牧師

電車 線路

列車からの飛び降り自殺

私は人生にあまりにも疲れきって、大変で退屈で三回も死のうと思って、未練もなく自殺を試みたが、三回とも未遂に終わってしまいました。一度は列車から飛び降りようとしたとき、誰かが首を引っ張ってくれたから生きのびることができたのです。人が引っ張ったのではありません。人は誰もいませんでした。

その時、キョンジュに行って帰るところでした。私はまさに福音を述べ伝えようと思って、列車の中をずっと歩き回ったのに、恥ずかしくて御言葉を伝えられなくて何度も行ったり来たりしてしまったのです。
それで結局死んでしまおうと考えました。

「おまえみたいな者は死んでしまえ、どうして恥ずかしく思うのか」と考えていたら恥ずかしさと自暴自棄のあまり死を決意しました。その時、声が聞こえました、

「私があなたの代わりに死んであげたのではないか。あなたは私の代わりに生きて欲しい。死なないで。そういうことがあればあるほど、もっと生きなければならないのだ」という声でした。

1988年4月3日の説教より

教会

自殺の出来事の後にお祈りを通して定着したこと

私がしばらくさまよった時、人生を生きる気が生じなくて「死んだ方がましだ」、と思ったとき、何回か死を試みたのですが、死の方が私を避けていきました。

その時は家に帰っても心が落ちつかないし、山に行っても洞窟に行っても心が定まらない時でした。誰がどんな話をしても浮わついた自分の心を捕らえることができない状態が続きました。

教会に行って説教を聞いても心が落ちつかず、結局、水が落ちる洞窟の中に入ってひざまずいてお祈りをすると、その時やっと心が落ちついてきました。

お祈りをして涙を流しながら聖書を読むと、その時になってやっと心が落ちついて、どこかで細くて慈しみ深く、愛らしい声が聞こえてきました。「私があなた方のために死ぬことまでしたのに、あなた方は私のために生きてくれることをしないのか」。

時間さえあればその洞窟に行くようになりました。寝る場所がなくて、親と兄弟が嫌いだったからそこに行ったのではなく、ただ私の霊魂がさまようのをやめさせ、人生を価値あるものとして生きるために、お祈りの時間をたくさん持ったのです。
1988年4月20日の説教より

聖書お祈り
死の方が避けていったというのはすごくよく分かります。
私も死のうとしたとき、死に切れませんでした。そしてその後、さまよいました。

 

この話を読んでいると、実際に自殺をしようとした人にしか分かづらいことが随所にあります。
自殺しようとした人が未遂に終わっても、そこで全てが切り替わるわけでもないのですよね。私はそうでした。

 

自殺をしたい、死にたいという方がいたらぜひ、神様にその辛い思いを全て話してください。
お祈りは対話だとも言います。決まった言葉だけがお祈りではありません。

誰も聞いてくれなくても、神様は絶対に絶対にバカにせず、一言一言、必ず全て聞いてくださいます。

神様はそのような愛の方だと、鄭明析牧師から私は学んだのです。

 

話す気力もなければ、神様とたった一言呼んで、神様のふところで休んでみてください。
手を伸ばしさえすれば、地獄からでも助け出すとおっしゃいました。

 

自殺を考えている全ての人の傷ついた心を、神様が暖かい愛で全て包んでくださいますことを切実にお祈りします。

 

鄭明析牧師にとってお金って何?

「スキー場に行ったときに
3万ウォンが余ったので
ネックレスやプレゼントを買ってあげようかと
見て回りましたが
いくつか買えなさそうでした。

みんなは大勢いるのに・・・

お金が無いから
私の気分も悪くなるのだな。

お金があれば
みんなによくしてあげられるのだなと思い

お金とは一体何なのか考えました」

 

誰でも一度は、お金って何?と考えますよね。

その問いに、神様はどのように答えたのでしょうか?

続きはyoutubeでぜひ!

 

 

鄭明析牧師の不都合な真実ー不可解な男性の存在

不都合な真実、印象操作。

ある角度から見ると、そのように見えなくもない。

しかしそれは実際には違う。

それを鄭明析牧師の報道でよくよく知ることとなった。

摂理キリスト教福音宣教会サッカー13

 

鄭明析牧師が多数の女性と水泳をしていた。

こう書くと、これは事実かどうか?

事実だ。

 

1998年の8月、実際にそうだった。
私は見た。人数は100人ぐらいだろうか。

 

しかし。
女性とだけ水泳をしたわけではない。多数の男性もいた。

男女問わず、その場に多くの人達がいた。

写真を一部だけ切り取って、韓国メディアは大きく報道をした。

 

ある角度から見れば事実。
しかし、それは真実ではない。

 

鄭明析牧師を女好きだと思わせるには、不都合な真実がそこに存在する。

 

何度も月明洞に行き、鄭明析牧師に会った。

それだけではなく、直接会えない期間もその行動を見ていると
やはり<不都合な真実>はたくさん存在する。

 

本当に鄭明析牧師がただの女好きなら、どうして若い男性達が伝道されるだろうか

面白くないからか、殆ど報道されないのが摂理の男性達。

存在するのに、いつも取り上げられるのは女性の話ばかり。

確かにそのほうが面白いかもしれない。

 

でも真実に、摂理の男性達は存在する。

 

彼らはなぜ摂理にいるのか。

鄭明析牧師がただの女好きだけであるなら、彼らの存在は殆ど必要ではなくなる。

いれば月明洞の作業とボディーガードくらいにはなるかもしれないが、多くの人数は必要なくなる。
月明洞の作業も摂理の男性全員が参加できているわけではない。

海外の人達で作業に行ける人がいたとしても一握りであり、それも一年間に1週間いけるかいけないかだ。

そのためだけに男性が存在していると仮定したら、非常に効率があまりよろしくない話だ。

むしろ外部から作業してくれる人を雇ったほうが、日々の管理もお祈りもしてあげなくていいから楽かもしれない。

 

しかし、摂理の男性達は大学生から20代の青年たち、家庭を持った人たち、そして80代を超えた老練な世代まで存在する。

鄭明析牧師がただの女好きだというなら、この部分を解明してほしい。

なぜ、摂理の男性達は存在するのか?

 

これについては鄭明析先生への誤解が解けるまで、その1でsato君も触れている。

摂理内で「性犯罪を幇助している」ということも間違いです。第一、もし摂理が(一部の人が言うような)「鄭明析先生が女性と色々する」ための場所なら、「お金もない男子学生」である私がここにいるのがおかしいでしょう

そうですね(笑)といったら怒られますがな。

お金目当てであれば、お金のある社長さんや、40代とか50代の男性達だけを連れてくればいいのかもしれないがそうではない真実がある。

201606月明洞 平和サッカー大会 平和になって喜んでいる姿

 

神様も主も聖霊様も、また遣わされた者も持っている一番の願いは、 この地球上のすべての人が一人も滅びないで、救われることだ。

神様も主も聖霊様も、また遣わされた者も持っている一番の願いは、 この地球上のすべての人が一人も滅びないで、救われることだ。鄭明析牧師の箴言より

 

神様は一人一人を愛している。その心を同じく鄭明析牧師ももっている。そして私もその心を学んでいる。その生き方から。(到底同じようにとは言えない段階でありますが”(-“”-)”)

 

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鄭明析牧師がパラリンピックを見た時のこと

私が水泳をどこで学んだか知っていますか?人はショックを受けなければいけません。

一度、パラリンピックに行きました。行ってみると足がない人、手がない人が水泳をあまりにも上手くしていたのです。

それを見ながら‘私が障害者だな’とショックを受けました。神様がそれを悟らせるために計画的にそこに連れていったのです。

‘障害者の方でも水泳が上手いから障害者ではない。できない私が障害者だ’と悟りました。

その時、覚悟をして唇を噛みしめました。あまりにも強く噛んで血が出るくらいでした。
そういう覚悟を持って何かをやらなければいけません。

1998年8月8日(土) 朝の御言葉(実践者だけが勝利できる)
関連記事東京2020パラリンピックを盛り上げよう

 

私が見た鄭明析牧師

「皆さんが直接接してみて、どのような方でしたか?」

目の前に一枚の写真がある。
今でこそ、摂理の多くの人達が見たことがあるサッカーをしている先生の写真@月明洞。
これは1997年3月に摂理メンバーの先輩、当時大学生だった方が撮影した写真。
私もこの時、一緒に月明洞に行っていた。
私はこの写真を久々に見て
「あれ?なんか色が違う(-ω-)」
と思った。

色が違うというのは、
「既にUPされていて、摂理の人々が目にしている先生の写真」
と違うという意味だ。
原版と色が違った。
原版の写真の色は凄く綺麗で、自然な色合い。
でもUPされてる写真は色が全体的に濃い感じでハッキリしない。
UPされている写真を見ただけではあまりよく分からないが
こうして比べてみると違いが分かる。
そこで思い出した。
既に摂理皆が目にしている写真は
私が過去、自分のスキャナで画像を取り込んでUPしたものだ。
私のスキャナは正直、そんなに性能がいいわけではない。
私のスキャナが性能が良かったら、
もっとそのままの色合いでUP出来たかもしれない(-ω-)
「このようにこうだ」
ということを感じた。
人は誰でも、
「人から聞いた誰か」

「直接会って自分が感じた誰か」
とは違う。
天と地ほどの差を感じることがある。

出来るだけ正確に伝えたいとしても
どうしても多かれ少なかれ、差が出てくる。

だから誰かが間に入るより、
直接接することが出来たほうが一番確実。
私が直接、接した鄭明析牧師先生は、とても素朴であり純粋だった。
今もそう感じる。

神様に対しての欲みたいなものは感じないし
ただ神様を聖霊様を御子を喜ばせようと、
そして人々の力になりたいということがいつも伝わってくる。
その思いが素朴であり純粋だった。
鄭明析牧師先生が話されたことに対して、何か分からないことがあっても
それについてお祈りしたり、直接、手紙を送る。
そうして返事が来ると
やっぱり再び
「素朴だな、純粋だな」
と思う。
皆さんが直接、接した鄭明析牧師はどのような方でしたか?

 

「幸い小学校しか出ていないから、多くのものを創造できる」

鄭明析牧師は小学校しか出ていません。

 

学歴に対して鄭明析牧師はこのように話されました。
「幸い小学校しか出ていないから、多くのものを創造できる」

 

私はたまに思うことがあります。
自分が知っているからこそ、縛るものもあるなあということです。
今まで経験したことのない、知らない人のほうが、発想が自由だと感じることが多々あります。

 

一方で。私は短大しか出ていません。

摂理には多くの有名な大学出身者の人達がいます。

東大、早稲田、阪大、そのほかたくさん。

 

その人たちと摂理の諸々について話しながら進めていくということが
たまに不思議だなと思うことがあります。

 

私の仕事関連では、あまり多種多様の経歴の人がいるわけではありません。
お客さんの経歴学歴は様々ですが、職場は大よそ、同じような学歴や経歴の人が多いです。

 

摂理には有名な大学出身者の人のみならず、いろんな学歴、経歴の人がいます。

 

その人の個性を存分に発揮できるよう、神様が助け、共にしてくださっています。

 

 

岩が崩れたあの時、私は鄭明析牧師に会った

摂理の鄭明析牧師チョンミョンソク3

1996年10月。

月明洞で岩を設置していた時。
突如、岩が轟音を立てて崩れました。

月明洞野心作
<現在の野心作の岩>

岩を積む
と言うのは、そのあたりの小石を積み上げてみたら分かるけれども
とても難しい。

ましてや大きな岩を積むとしたら?

神様に祈りながら素晴らしく岩を立てようとしたのだけれども崩れてしまいました。

この写真で、真ん中あたりに白い2つの岩がありますが
あのあたりの岩は全て完全に前のめりか、一番下の地面まで落ちていました。
1つの岩を立てるのに夜通し時間がかかったこともあります。

神様と共に勇壮な作品をつくろうと思えば
時間はおのずとかかる。
命を懸けて積んだ岩が一瞬にして崩れたのです。

摂理の鄭明析牧師チョンミョンソク

この写真の一番左側は綺麗な格好をしているけれども
聖殿を作る際の洋服は、殆どがジャージでした。
私は先生のスーツ姿より、ジャージ姿の方が目に焼き付いています。
それまで岩を立てる時にも私はずっと見てきました。

ご飯も食べず、睡眠も満足にとることも無い先生の姿。
それでも、苦しそうというよりは
充実した表情で神様の聖殿を建てようという先生の姿。
切実だった姿。

悲しい表情だった鄭明析牧師

月明洞野心作2
<現在の野心作>

だから岩が崩れたという衝撃は100万分の1くらいは分かります。
岩が崩れた直後に私は先生に会いました。
その時の先生の表情は今もよく覚えています。
凄く悲しい顔をしていました。

 

なんて声をかけていいか分かりませんでした。

 

岩が崩れた後に発した言葉

月明洞全景

でも数日後、このような御言葉が伝えられた。
「決心しなさい」

「先生は再び決心をしました。
皆さんも人生で辛いことがあった時に
この御言葉を思い出して決心してください。
この御言葉を一生忘れないでください。」

 

人は辛いことがあったとき、
それこそ一生をかけて成し遂げようとしたことが崩れた時に
真っ先に何を思うのでしょうか。

 

鄭明析牧師先生はとても辛いことがあったけれども
「岩は崩れても私の心は崩れなかった」
と言い、また自分の経験を通して皆へのエールとなる御言葉も伝えてくださいました。

 

私はこの御言葉、この時のことを一生忘れないことでしょう。
神様に祈りながら切実な姿で岩を立て
何度も崩れたけれども
それでも神様に対する切実な心、神様の聖殿を建てようとした先生の姿。

 

私もこのように倒れるような辛いことがあっても心は崩さず
神様を切実に切実に愛したいと思うのです。

 

鄭明析牧師のスキャンダル報道

摂理に関してのニュースの一つとして教祖がスキャンダルを犯したという話もありますけれども、HPには

教祖が強姦致傷罪で服役中であり、多数の被害者がいると述べられたが、
韓国において刑事裁判の対象になった数件については現在、
当宣教会のみならず各方面から冤罪であると指摘されている状況にあり、
かつ、その他には嫌疑が一切ないことが既に韓国の管轄検察庁により公式的に結論付けられている。
また、日本においては刑事告訴が一件もなされていない。

とあります。

 

またこのような韓国のマスコミの訂正報道文も出ています。

鄭明析総裁関連報道に関する訂正報道文

本放送は、過去2014年5月22日から7月26日までの間に放送された内容のうち、「JMSの鄭明析総裁が女性信徒に性的暴行をして外国に逃亡したが、中国公安に捕まり送還された」「密航した」「女性信徒たちから性接待を受けた」という趣旨の言及をしたことがありました。しかし、確認の結果、鄭総裁の性的暴行容疑は検察で嫌疑なしとして処分されたものであり、鄭総裁は、当時の通常の海外日程を消化した上、複数回入国し、検察の取り調べを受けたため、関連報道は事実と異なり、性接待疑惑も嫌疑なしと処分されましたので、該当報道を訂正します。

記事原文 : http://ytn.co.kr/_ln/0103_201503161004314232

 

実際に、鄭明析牧師がスキャンダルを起こしたのかどうか

それは私は24時間、鄭明析牧師を見ていたわけではないので
「じっと観察していましたが、スキャンダルなことは見てません!」
とは言えません。
しかし、見てないから保証できないだろう、信じられないだろう
ということでもありません。

 

親が子供と24時間いられるのは、生まれて最初の数年だけです。
小学校にあがってしまえば、大抵の場合は24時間、共にいることはできません。
24時間いないからといって、子供のことを信じなくなるというのはおかしな話です。

 

私は、自分が見てきて、実際に御言葉を聞いて、そのうえで
世の中で教祖と言われている鄭明析牧師のスキャンダルなニュースを私は信じていません。

 

鄭明析牧師と一緒に山登りもしたし、サッカーもしたし、食事もしたし、ダンスもしたし、御言葉も何度も聞きました。
様々に共に過ごしたうえで、私は私の信じる道を行くのみです。

 

鄭明析牧師と山登りー遅れた人を待ちますか?

特徴1:私はカメラマンでした。
特徴?2:山に登るのが苦手というか好きでもありませんでした。

 

団体で移動する際、私のようなカメラマンが登るとどういうことが起こるか。

必死で先頭にくらいついていく姿が見れます。
ぜいぜい言ってます。

カメラマンが山で撮影するときは、皆より早くいかないと撮影できないんです。
なんとか先頭にいたとしても、撮影を一瞬忘れそうになります。

 

私が先生(鄭明析牧師)と山に登った時。
何回かカメラマンでした。
いつものことながら、ぜいぜい言って登ってました。

 

そうしながらも、瞬間を逃すものかと登ってました。

 

 

たぶん30人くらいで登ったんじゃないかと思います。
その30人、全員が全員、同じスピードで登ったわけではありません。

 

遅れる人も結構いました。
というか、先生が早いんです。

 

その時は先生は50代。
スタスタどんどん登っていく。
かたや20歳の私。ぜいぜい言ってついていくのがやっと。

 

でも早い一方で、遅れてくる皆を家族を待つように暖かいまなざしで待つ先生の姿を、私は何度もみました。
怖いと思ったこと無いです。

 

先生と何度か山に登った時、いつもこうでした。
先生は、決して人に無理させる非現実的な方ではありません。
一人で先にどんどん行くことは殆どなく、待つことが多く、最後の人までいるかよく見ていました。

 


感謝があふれる人は愛もあふれる。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より

 

先生は御言葉で感謝について何度も話されています。

 

先生に接するたび、いつも愛にあふれているなあと思うしかないのです。

 

どこかのメディアに一度、徹底的に鄭明析牧師先生のことを調べてもらいたい

イメージというのはとても怖いです。実際とかけ離れていても、<そのように>見えてしまう。
鄭明析牧師(以下、先生)が豪華な刑務所生活をしているという証拠の写真でもあるのでしょうか。何を根拠にそのように話しているのでしょうか。
「主日の御言葉で録音説教伝える」
これは、まだ収監される前に録音されたもの。それを聞いたまで。御言葉は何度繰り返し聞いても良いものなので、複数回にわたって聞くこともあります。

今、録音されたものがあるなら聞きたいけれども。どなたかもってるなら、私のところにそのデータを持ってきてください。しかしこの約8年。そんなことは一度もありませんでした。

 

どこかのメディアに一度、徹底的に鄭明析牧師先生のことを調べてもらいたい気持があります。以前からの報道は何度も見ていますが、これ違うんですということがたくさんあります。
私は神様も信じますが、自分の目も信じます。
私が見た先生を、今も御言葉を伝えてくださっている先生を信じています。

 

リンク集

鄭明析牧師 公式サイト | ただひたすら神様の人生
キリスト教福音宣教会(摂理)の創始者、鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師の公式サイトです。1945年3月16日、忠清南道錦山郡にて6男1女の3男として生まれました。貧困、飢餓、修道生活、ベトナム戦争、伝道、迫害…彼がこれまで歩んできた路程を紹介しています。

 

詩人・鄭明析- キリスト教福音宣教会摂理
鄭明析(チョン・ミョンソク)。1945年、忠清南道錦山郡生まれ。 1995年に月刊「文芸思潮」に登壇した後「霊感の詩」4冊を発表し、韓国詩文学100年史を網羅した「韓国詩大辞典」(2011) に10編の詩が登載された。

 

鄭明析牧師の詩 摂理-

 

摂理の教祖様は鄭明析(チョンミョンソク)牧師ですか?