[聖書]聖書の登場人物の祈りを、神様は全て聞いてくださった

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ルカによる福音書18章1節から8節。イエス様が祈って落胆してはいけないと、譬えを使っておっしゃいました。

ある町に神様を恐れないで人を人とも思わない裁判官がいました。そして、その町には一人のやもめ女がいて、ある法的な問題のことでその裁判官のところに行って、いつも自分の敵に関する自分の恨みを晴らしてくれと頼みました。

ずっと訪ねてきて恨みを晴らしてくれと言うものだから、「私は神様を畏れないし、人を人とも思わないが、このやもめ女のことで煩わされているから、さっそくその恨みを晴らしてあげよう」と思うようになりました。それで裁判官がそのやもめ女の恨みを晴らしてあげるようになったという事です。

このようにイエス様がおっしゃって、「ましてや神様が夜も昼も訴えている民たちの思いを晴らしてくださらないだろうか。それを黙って見ていらっしゃるだろうか。あなた方に、はっきりと言おう。その思いをさっそく晴らしてくださるだろう。どうしてあなたがたはそれを知らないのか。神様が、あなた方選んだ人たちの思いをさっそく晴らしてくださることを知らないでいるのか。どうしてそんなに信仰がないのか。人の子が来るときに信仰を見ることができないだろう」とおっしゃいました。

ヨシュアはアモリ人と戦ったときに神様に祈りました。日が止まるようにしてくださいと。大軍と戦うためには日が暮れてしまったら戦って勝つことはできないので、日をとどめて私たちに戦う時間をくださいと祈りました。神様はアモリ族を恐れおののくようにして、5人の王たちを逃げるようにしました。そして逃げていった彼らの上に天から雹が降ってきて皆が倒れ、ヨシュアの軍隊の剣によっても倒れました。このように日が止まったと思うほどの短い時間に戦って勝利をしたのです。神様に祈ったので訴えに答えてくださったと言うことです。

モーセの時も選んだイスラエルの民をエジプトから導き出し、パロ王の主管圏から出てこれるようにと祈ったとき、神様は災いを与え、出てこれるようにしてくださったし、紅海にさえぎられて祈ったとき、紅海がさかれるようにしました。

ヤコブが祈ったとき神様が共にして、ヤコブの一生、神様がいつも同行してくださいました。

ヨセフが祈ったときに彼の恨みを晴らしてくださり、エジプトに行って総理大臣にまでなれるようにしてくださいました。

ギデオンの恨みの祈りを聞いてくださってミデアン人たちを全て滅ぼし、40年間もイスラエル民族を平和にしてくださいました。

ハンナの祈りを聞いてくださって、その恨を晴らして、サムエル預言者を産むようにしてイスラエル民族の預言者にしてくださいました。

アブラハムの妻サラが子供がいなくて寂しく暮らしていたとき、神様が彼女にイサクという子を与えて、その子孫が天の星のように多くなるようにしてくださいました。

ヒゼキヤ王が病気になって死にそうになったとき、神様に求めて祈ったときに15年を延ばしてくださいました。

ダニエルの祈りに答えてくださって、恐ろしい獅子の穴から出てこれるようにしてくださったし、火の中からも助かるようにしてくださいました。

ヒゼキヤ王の祈りとイスラエル民族の祈りを聞き入れて、神様はアッスリヤの軍隊を滅ぼしました。18万5千人という人々を、イスラエル民族が戦いもしないうちに、天の使者を送ってみんなを全滅させました。神様はさっそく彼らの祈りを聞いてくださいました。

ヨシュアの祈りを聞いて、エリコの城をまわった後、エリコがイスラエル民族の前で降伏をするようにしました。

ヨナの祈りを聞いてニネベの町の12万人の人を救ってくださいました。

イエス様の祈りを聞いて、全人類への救いの条件を与えてくださいました。イエス様の時代のとき、盲、おし、足なえ、またいつも癒されることを願っていた人たちがイエス様に会って訴えたとき、彼らも健康を回復する救いを得るようになりました。イエス様が多くの人たちの問題を持ってきたとき、神様はイエス様の祈りを聞いてさっそくその恨みを晴らしてくださいました。そして彼らを健康にしてあげ、死から助かるようにしてあげ、死んだ人をイエス様を通して生かしたりもして、全て彼らが望んでいる通りにしてくださいました。

だからイエス様は、「求め、探し、門を叩きなさい。そうしたら私に神様がしてくださるようにあなた方にもしてくださるだろう」とおっしゃいました。「私の名によって求めなさい。そうしたらすぐにくださるだろう。」神様は自分が選んだ人たちの願いにいつも耳を傾け、恨みがあったらそれを晴らしてくださるということです。

「祈って落胆するな。どうして祈らないでいるのか。夜も昼も祈って求めなさい。落胆してはいけない。夜も昼も訴える人の祈りを聞いてくださらないだろうか。」私たちが何かを得ようとするときには、いつも神様に求め訴えなければなりません。神様は持っていなくて与えることのできない神様ではありません。私たちが求めないことで得られないということを悟らなければなりません。

皆さんも自分が何でも持っているとしたら、誰かがそれを求めるときあげないでしょうか。お金もたくさん、服もたくさん持っているとしたら、それを求める人にあげないでしょうか。だから求めなさいということです。しかし人の子が来るとき、そういう信仰を見ることができるか。このように、求め落胆しないで熱心に求める信仰を見ることができるだろうか。人々がそれだけ神様を信じていないということです。

信じて落胆しないで求め、すがり付く、そういう信仰を人の子が来るとき見ることができるのかということです。落胆しないで求め、夜も昼も祈りなさい。神様にしがみつきなさい。そうしたら神様は全て聞いてくださる。そういう意味でイエス様はこの話をするようになったのです。

2000年2月13日  主日礼拝の御言葉より抜粋 ルカによる福音書18章1節から8節

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