義なる生き方をしようとすると、患難が、苦難があります。聖書を読んでみると、創世記から黙示録に至るまで、義人たちが苦しみを受けていないという箇所は一箇所もありません。義人たちが苦しみを受けないで生きた、ということは一箇所もありません。聖書のどこにもありません。
アベルを見て下さい。義なる生き方をしたから殺されたでしょう。ノアはどうですか?義なる生き方をしようとしたから、患難苦難があったでしょう。箱舟を造ったし、そういう苦しみがありました。
アブラハムも今から4000年前に、1人で場所を変えて寂しく暮らしたでしょう。自分のふるさとを出て、多くの人たちが一緒だったところから出て来て、一人で寂しく暮らしました。だから神様だけを呼び求めました。そういう苦痛。
ヤコブも21年間苦しみを受けたでしょう。寂しく、ふるさとを離れて。ヨセフはどうですか?汚名を着せられて苦難に遭いました。牢屋に入れられました。義人たちがそうだったのです。
預言者を見てください。預言者で苦労しなかった人は1人もいません。みんな苦痛を受け、もがいて、患難苦難がつきまといました。だから信仰のない人たちが見て、「ああ、神様はいない」と。「お前の信じている神はどこにいるのか」。しかし義人たちは信仰を持ち続けました。神様を信じて苦痛を受けたこと、それは聖書の歴史として書いてあるでしょう。義人が苦痛を受けないで楽に暮らしたというところは一箇所もありません。しかし一般の人たちのことは、そういうふうに生きたことがたくさん書いてありません。だから躓きやすいのです。
先生も聖書を読みながら、「義人になりたくない。義人になったら患難、苦難、迫害があるし」
義人はそんなに多くありません。少数の群れに過ぎません。400年に一人ぐらいでした。悪人はたくさんいました。数百年に一人現れて歴史を広げようとすると、みんなが悪人ばかりで難しかったのです。で、それが聖書に書かれています。
義人たちがすごく多くなった時代って、そんなにありません。義人が立ち上がって一つになろうとすると、みんなが殺してしまいました。黙示録を読んでみると、義人たちが神様の国に行って話したでしょう。「私たちの恨みを晴らしてください」。みんなそのようにして殺された人たちです。それを見ても、「神様が助けてくださらない。患難の時に、苦難の時に神様が助けてくださらない」ということが、もっとも躓きやすいことです。先生も歴史を広げていた時、困っていた時、辛い時、そういう時に助けてもらえない時、信仰が本当に揺れ、一番落胆に陥りやすいです。
預言者たち、ダニエルもそうだったし、エゼキエルもイザヤもみんなそうでした。地球上の苦しみを、世の中の全ての苦しみを預言者たちが背負って行きました。顔では笑っても、心の中はそういう苦しみを背負っていたのです。
そういう中で神様が、義人たちを犠牲にして時代を生かしました。
多くの人たちが、教会を、信仰を途中でやめてしまいます。義人たちがすぐに栄えるようにしてくださらないから。
義人は叩かれても黙っています。イエス様はほふり場に引かれていく子羊のように亡くなってしまいました。しかし、3年間、生活の中でも常にそういうことが繰り返されました。生活の中での苦難でした。そういう中で福音を宣べ伝えてきたのです。旧約の時も新約の時も新しい時代も同じです。この世の義人はわずかです。
そういう、患難苦難、苦しみの中で生きても落胆してはいけません。緊張している状況、苦しみの中で救われます。全く救われるはずのない人が患難の中で救われることがあります。天の歴史を振り返ってみると、苦しみの中で神様を信じるようになることが多いのです。それが一番多いです。辛い、大変な中で、飢えと苦しみの中で、弱っている人たちがだからたくさん救われます。
冷たい風が吹いても緊張して、慎んで、より神様に頼り、神様をよく信じ、神様に栄光を来し、喜ぶことが皆さんには必要です。
結末はどうなのか。必ず良くなるから。最後は必ずよくなります。イエス様も結局はよくなったでしょう。ヤコブも結局はよくなったでしょう。散々苦しみを受けましたが。
2025年3月25日 明け方の御言葉より抜粋・編集 説教者:チョンミョンソク牧師