[Word]使徒パウロ 獄中での鞭打ちと受難 神様の恵み「まことに私があなたを助けよう」

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 使徒パウロが獄の中で打たれた事は、聖書に書かれていません。しかし獄の中でたくさん打たれました。それでも打たれたとは言えなくて、「私が彼らによってたくさん害を受けた」としか書いてないんです。害を受けたという事には、打たれたことも入っていますが、打たれたことは、側で見た人を通して伝え聞いて分かります。それを見つけるのです。そこに直接言ってみたら、むち打たれたことがはっきりと分かりました。使徒パウロが入っていた獄に行ってみました。昔は罪人達は誰でも鉄の鎖でつないだそうです。

 行ってみたら、鉄の鎖につながれた跡が残っていました。壁はその鎖で削ったので、たくさん削られていました。しかし、人々はそういうことを知らないでいます。いつか使徒パウロが閉じこめられていた獄に行ってみて下さい。壁をたくさん削っていたのです。鎖に繋がれていたパウロ先生が、その鎖で削ったものだとはっきりと分かります。

 「神様は悪人達を跡形もなくなくしてしまえばいいのに、どうしてなくしてしまわないのか」という疑問を抱いて神様に祈っていました。ヨーロッパに来てみたら、キリスト教を迫害した人達の痕跡が今でもたくさん残っています。皆さんも私と同じくそういう風に考えたときが多かったでしょう。

 しかし神様は悪人の痕跡をなくしてしまえば、彼らの悪い仕業を子孫達が分からなくなるから、後世に知らせるために鏡として残しておいたという事です。悪人達がイエス様にしたことは十字架の鏡として残しておき、ローマ迫害の400年間迫害したことも残っていて、世界からの観光客がそれを見て、みんな彼らの悪い仕業を責めながら観光している姿を見ました。ネロ皇帝の関係のものが博物館にたくさん残っていました。

 それを見る度に、「あの悪者が使っていた器があそこにある、あの悪者が使っていたものが残っている」と話をしていました。ローマには、倒れかかっているコロセアムがあります。それを見て、「崩れるようにしてしまえばいいのに。何であのように残して、世界から人々が来て見るようにするのか。」と言いましたが、神様は「このように痕跡を残したら、後世の人達がずっと見て善悪を分別する鏡になるんじゃないか」と、私を悟らせて下さいました。

 パウロ先生の書いた文章の中でも、聖書に出ていないものがたくさんありますが、その中の心情の霊魂が込められている御言葉と言えば、獄の壁に自分の手すりで削って残したその痕跡の聖書だと私は悟るようになりました。

 そして獄にいる人達にたくさん殴られました。獄の看守が殴ったり、ローマの兵士たちが殴るとき、笑ったから、「あなたはどうしてそんなに笑うのか。」と言ったし、「私は心が楽だ。」と答えました。殴った人達は「殴られた人が苦しまなければならないのに、殴っている人の方が苦しい」と言いました。その時、「それでは神様を信じ、イエス様を信じなさい」と言って、伝道しました。そこで伝道ができたのです。

 そのように、隠れて勉強したのです。外に出てきてはできないから、看守が監理しに行くと言って、こっそりと少しずつ勉強したのです。そのうち心に感動を受け、「先生、私達が何か助けることはないでしょうか。」と言いました。その時パウロ先生が、裁きについて、来世について厳しく話をしました。「私は時が来て行くべき道に行くが、あなた方も残っているとしてもいつかは死ぬんじゃないか。来世はあるものだ。私もその世界に行くために、むち打たれながらも天を裏切らない信仰を持つようになった」と話したそうです。そこに水があって、その水で看守たちに洗礼を授けました。その姿が聖書に書かれています。

 地下室だったので、水があったのです。四方一尺くらいの円形の形で、深さ60センチの泉が今もあります。その水は洗礼を授けた水だと伝わっています。パウロ先生が鞭打たれたことは確かな事ですが、観光ガイド達に聞いてみたら、その獄に入った人は誰でも食べさせないし、鞭で打って、それでも死なないときには、壁に頭をうちつけて殺したそうです。頭をうちつけた壁は今もその跡が残って、石灰の壁がだいぶへこんでいる跡が残っています。だからパウロ先生もたくさん打たれたと、その当時見た人達の口を通して伝わって来ているから、確かなことだとその人は話してくれました。

 しかし、パウロ先生はそういう事を聖書に記録することはできなかったのです。パウロ先生は自分の弟子に手紙を書いたのであって、それが後世に聖書になるだろうとは考えられなかったのです。だからその文章は手紙として残っているのであって、聖書的な立場の内容ではないんです。安否を問う内容、そして何かを持ってきなさいという内容の手紙です。そして、今、全てを語ることはできないと言った事がかかれています。

 旧約聖書イザヤ書41章8章以下には、「私の選んだヤコブ、私が地の果てからあなたを呼び、あなたに言う。あなたは私の僕だ。私があなたを選んで、喜んだから恐れるな。私があなたと共にいるからだ。驚くな。私はあなたの神だ。私があなたを強めてあげよう。本当にあなたを助けよう。本当に私の義なる右手であなたを支えてあげよう。見よ、あなたに怒っていた人達は恥をかくだろう。あなたと戦う者達は何でもないものになって、滅んでしまうだろう。あなたが探しても、あなたと戦っていた者を見いだせないだろう。あなたを打つもの達はむなしいものになって、滅亡してしまう。」とおっしゃいました。

 一年に数百回も説教をし、数百回も集会をし、数百回もスポーツをし、数百回も作業をし、数千回も面談をしているうちに疲れが溜まって、過労で何回も倒れて限界に至ったときがありました。過労だと死んでしまうという言葉が浮かんできました。意識の中で神様に祈りました。「これからは過労しないで知恵を持って体を使いますので、どうか1回だけ助けて下さい」と言いました。その次の日やっとの事で、立ち上がることができました。ほんとにその時も神様が共にして下さったので助かったのです。

 私の命を神様が大事にして下さるから、私も人の命を大事にしてあげるとき、神様が今日も私の命を守って下さいます。

 本当に神様が助けて下さったことを一つ一つ思い出して、過去のことを思い、現実の事を思いながら、いちいち神様に感謝をしなければなりません。

 もし神様が本当に助けて下さらなかったなら、誰でもそのことは解決できなかったでしょう。私のように、死ぬ2秒前に助かるという事はできなかったでしょう。

 神様があなたを助けて下さった一つのことを考えながら、そのように1万種類のことも助けて下さっていることを悟って、永遠に感謝して生きていくのです。

 神様があなたを本当に助けたことに対して本当に感謝をしているなら、みんなにそれを証しなさい。彼らを神様を信じるようにしてあげなさい。そうするとき、神様が本当にあなたを助けた甲斐を感じ、栄光を受けるようになります。

1999年4月26日(月) 朝の御言葉より抜粋 説教者:チョンミョンソク牧師

 

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