三位の存在の神様が私にそのようにして下さったので、私はその方達のために生きているんです。そうしたら、みんなが今になって、「あの人はいつも泣いてばかりいた人なのに、どうしてこんなに多くの人々がついて来るようになったのか」と驚き、不思議に思っています。
「あの人は無学な人なのに、どうしてあのようになったんだろう。以前は泣いてばかりいたし、気の狂った人のように山に祈りに行っていた人が、どうしてあんなになったんだろう。」と言います。
人は泣く時があるし、笑う時があると言いました。悲しむ時があるし、喜ぶ時があります。私はその様な悲しみの時を過ごしたのです。涙ぐましい時が過ぎたのです。みなさんもその様に悲しんで苦しんでいる人がいたら、私が会って話をしてあげたりしますが、私が行けない時でも、御言葉を伝えたら、その御言葉を聞いて力を受けて立ち上がったりします。また、御言葉もない時には、祈ったらいいです。讃美をしたらいいです。さっき、ある人も感謝をしたら全ての問題が解けたと言いました。その様にして解いていかなければなりません。
皆さんも隣の人が躓いて、困難にぶつかっている時、その困難はいつまでも続くものではないから、支えてあげ、引っ張ってあげ、慰めてあげなければなりません。自分が躓いていた時、神様と私が導き出してあげたから、自分も躓いている人をよく導いてあげなければならないんです。
「あいつ、躓いているそうだよ。いつも辛い思いをしているそうだよ。」と言ってはいけません。その人の所に行って支えてあげ、導いてあげなければなりません。泳いでいるとき、ある人がおぼれかかっているのに、「あの人はおぼれかかって水を飲んでいる」と言って、素通りしてはいけません。
「あいつは泳ぐ時にはいつもおぼれかかっている。水ばかり飲んでいる。あれで死んじゃうんじゃない?水がそんなにいいのかな。どうしてあんなにたくさん溺れてしまうんだろう。」と言ってはいけません。泳ぎ方を教えてあげ、引っ張り出してあげなければなりません。その人が泳ぎに水に入ったら、いつ溺れるか分からないから、いつも側についていてあげたりもしなければなりません。
「私は泳ぎがうまいから、お前が溺れたら私が助けてあげるから、安心して泳ぎなさい。」と言わなければなりません。それはキリストの心です。
私達はみんな神様の心を持たなければなりません。皆さんは忠誠という言葉が好きでしょう。イエス様はその様に生きて来られたので、死ぬほど忠誠を尽くしなさいとおっしゃったのです。忠誠を尽くして人のために生きることがどんなに大きいことか分かりません。王に忠誠を尽くすことも大きいです。臣下が王に忠誠を尽くすという事も大きいことです。
しかしそれよりももっと大きい忠誠があります。王に忠誠を尽くす事よりもっと大きい忠誠というのは何でしょうか。それは上の人が自分の下の人に忠誠を尽くすことです。それが本当に大きいんです。
上の人が自分の下の人に忠誠を尽くすという事がどんなに難しいことか分かりません。しかし、神様は私達人間にその様に接して下さっています。心をつくし、思いを尽くし、私達人間を愛して下さっているんです。私もそういう心を忘れてしまうなら、生きた人だとは言えないし、生きた信仰と言えないんです。自分の上の人にはよくしていながら、自分の下の人にはよくできないことが多すぎます。
しかし、上にも忠誠、下にも忠誠を尽くさなければなりません。そのかたは、地上からも天からも賞をもらえるべきかたです。イエス様は上にいらっしゃるかたなのに、全ての人のために忠誠を尽くしていきてくださいました。だからみんなの見本になられたのです。
(続く)
1999年6月30日 水曜礼拝より抜粋 説教者:チョンミョンソク牧師

