[Word]「どの戒めが大きいのか(1)」新約聖書マタイによる福音書22章34節
今週の御言葉はマタイ22:34からです。「どの戒めが大きいのか」という質問をイエス様が受けておっしゃった内容です。 新約聖書マタイによる福音書22:34 さて、パリサイ…
[Word]「どの戒めが大きいのか(2)」新約聖書マタイによる福音書22章34節
私たちが神様を愛さないでは神様が私たちを愛していることも知らないと言いました。また人間が神様を愛することで神様の愛を知るようになるし、神様を私たちがどれだけ…
[Word]「どの戒めが大きいのか(3)」新約聖書マタイによる福音書22章34節
親の愛も同じです。自分の肉の親は、愛しても神様のように全てができるわけではありません。神様がして下さる愛と人間がする愛とは別にあります。 親は地獄に行かないよ…
[Word]「どの戒めが大きいのか(4)」新約聖書マタイによる福音書22章34節
どんなことでも親は許せます。たまにそれができない親もいますが、大体は受け入れます。親の中には磨かれた人で広い理解力を持っている人もいます。 人間というのはたく…
神様の愛は限りありません。話は尽きません。だから実践するしかないんです。いくらたくさん知っていても何になるでしょうか。実践には及ばないものです。
人間が考えることはやさしいです。それに比べて実践するというのは考えることの十倍くらいは難しいです。
その実践よりもさらに難しいのは構想です。いいアイディアのことです。いいアイディアは一生の間浮かんでくる時もあるし、浮かんでこないこともあります。実践というのは、いいことがあればいつでも実践すればいいです。
しかし構想というのは浮かんで来るまでは与えられないものです。
いい構想というのはどのようにすればいいかわかりますか。先生の場合は実践してやっていくうちにどんどん浮かんできます。だからみなさんもただ座り込んでいい構想が浮かんでくるのを待つべきではなくて、どんどん実践しながらいい構想が浮かんでくるということを知らなければなりません。
もう一つ、いい構想が浮かんでくるのは、自分が霊的になって形而上学的な深い世界に入って神様のアイディアをもらってくることです。先生はこの両方の方法を使っています。
(続く)
1998年1月14日(水)朝の御言葉 ウォルミョンドンの食堂で
説教者:チョンミョンソク牧師