新約聖書 黙示録2章の21節から23節にこう書いてあります。
「私はこの女に悔い改めるおりを与えたが、悔い改めてその不品行をやめようとはしない。見よ、私はこの女を病の床に投げ入れる。この女と姦淫する者をも、悔い改めて彼女の業から離れなければ、大きな艱難の中に投げ入れる。」と書いてあります。
私たちはこのように毎日悔い改めなければなりません。人間がいくら義なる生き方をしたとしても、罪を犯すようになります。
私は罪を犯さないで過ごそうとしました。人にあって対応したら、間違って罪を犯すんじゃないかと思って、ドアを締め切って、部屋の中にじっとしていたとしましょう。一日中ドアを閉めて、部屋の中で聖書だけを読んで、祈ってばかりいました。
だからといって、罪を犯したでしょうか、犯さなかったでしょうか。それは、人には罪を犯さなかったとしても、神様に対しては罪を犯したのです。人に会わない罪を犯したのです。
神様の気分を害するようなことや、神様と一体とならなかった時には、それを罪とみなします。
ある人が、仕事をしたら汗が出るし、垢がつくから、そして服が汚れるから、もう働かないで部屋の中にじっとしていようとしたとしましょう。それで1ヶ月間、部屋で食事をして、外に出て働くことはしませんでした。働いたらほこりがたつし、垢がつくからといって、仕事をしなかったのです。
その人が仕事をしなかったからといって、垢がつかなかったでしょうか。1ヶ月ぶりに銭湯に行った時、垢は出なかったでしょうか。必ず垢があります。服も1ヶ月間洗わなかったから、汚れたのです。私はそういう事を罪だと悟るようになったのです。
「ああ、人生は一日遅らせたら、それだけの罪を犯すようになる。だから、一日を過ごしたら、必ず夜には、『罪を許してください。』と祈らなければならない。もし、人に対しては罪を犯さなかったとしても、神様に対しては犯した罪があるだろう。人によってほこりがついたりはしなかったとしても、私の体から自ら垢が生じるしかない。私が人には罪を犯さなかったとしても、神様には罪を犯したんじゃないか。」と思いました。
それで私は毎日悔い改めて祈っているんです。それを悟ってから毎日悔い改めます。私は体を動かしたら罪を犯すと考えて暮らしています。
毎日悔い改める時、義人になれます。旧約聖書 伝道の書7章20節には、「善を行い罪を犯さない正しい人は世にいない」と書いてあります。それはちょうど、掃除をした後、汚れていない雑巾はないということと同じです。磨いているうちに、汚いものが自分に移ったのです。
その代わり部屋はきれいになりました。善を行った義人が罪を犯さないではいられないということです。
イエス様はすべての人の罪を背負って死んだので、皆「あの人は罪人だ。」と言ったのです。その代わり、他の人たちはイエス様がきれいに磨いてくださったので罪がないんです。そういうことがあります。罪を犯さない義人がいないということです。義人も罪を犯します。
神様に罪を犯さないことがあるでしょうか。今まで説教した中でも、神様の気に入らない説教をしたことがあるなら、それも罪です。言葉を間違ってしゃべったなら、それも罪です。だからすべてを悔い改めなさいということです。
(続く)
1999年6月30日 水曜礼拝より抜粋 説教者:チョンミョンソク牧師

