韓国キリスト教福音宣教会公式YouTubeに、Netflix「すべては神のために:裏切られた信仰」に対する検証動画第8弾が掲載されました。このページでは、動画中の日本語訳を参考にテキストにして掲載、参考資料も添えました。
Netflix検証第8弾 YouTube動画(日本語字幕あり)
悪評者たちの望みは「摂理が社会悪の姿であり続ける」こと?
キリスト教福音宣教会が45年間成長する過程で、もちろん良い成果だけがあったわけではありません。成長する過程で成長痛を経験するように試行錯誤もありましたし、未成熟な段階で発生した様々な事件がありました。
私も ‘すべては神のために’ を通してそのような事件を知るようになり、実は本当にびっくりしました。
当時の私たちの至らない点が端的にあらわになった事件だと思います。
霊の愛と肉の愛の概念が確立される過程で、そのことを過度に解釈したり、怒りを抑えられずに暴行を振るったりと、相手の意思を尊重して行うべきなのに没頭しすぎるあまり相手に苦痛を与えたのは明らかな間違いです。
しかしキリスト教福音宣教会は、その段階を抜け出してもっと大きな成長を成しました。明確な霊の愛の概念を完成して実践していますし、平和と愛を実践して社会に貢献するために努力しています。
まるでその時の姿が私たちの団体の現在の姿だと主張し、(これまでの) 成長を否定することは、逆に私たちが社会悪の姿であり続けることを願う悪評者たちの望みではないでしょうか。
そのことを悪意を持って利用する態度は絶対に許せません。
No.10 デジタル性暴力
全裸の動画を本人の同意なしに使ったことについて、問題提起をしたあるメディアの質問に対して、‘すべては神のために’ を作ったチョ・ソン○プロデューサーは
‘インターネットにずっと前から出回っている映像を使ったことが何が駄目なのか’
と回答をして問題になっています
性暴力の被害者を出さないためにこの作品を作ったと言っているプロデューサーの口からこんな言葉が出て来るとは……
これも間違いなくデジタル性暴力でしょう
N番ルーム事件を例にあげてみます(*N番ルーム事件 : 韓国で起こったデジタル性暴力の事例)
映像を撮った人がどういう目的で撮ったとしても、仮に撮影に同意したとしても、撮影したものを流通させることに関して同意していないならその映像を流通させた人は問題になるのです。
この映像の中の人たちがどういう目的で撮ったかは関係なく、それを流通させる権利はプロデューサーにはありません。
映像の中の人たちは数年間苦痛を受けてきた被害者たちです。
それなのに彼女たちを保護するどころか扇情的な演出で表現し、強調した映像を作って流通させることはかなり深刻な犯罪です。
本人たちが犯す暴力と不法はやむを得ない, みたいな論理は作品全般にあります。
特にこの事件を扱ったマスコミの態度はとても深刻です。
Netflix内で「性被害者 / 前JMS報告者」と字幕が入った状態で女性が話しています。しかし実際は被害者本人ではなく、俳優Aさんでした。
俳優AさんのMBC関連会社は, 約束を破って代役ということが分かる表記をしませんでした。
Aさんは「字幕を修正してほしい」数回抗議したが黙殺……
代役で出演したのに, 製作社側が性被害者に見せかけて字幕処理したのです。
映像の中で誰が再現俳優で, 誰が被害を主張する当事者なのか、正確に表記しないことで、視聴者たちにはみんなが当事者のように見えるように誘導しました。
でたらめな話をプロの俳優を使って再現することで、より事実として見えるように作ったということをこの事件を通して分かります。
また暴力事件は絶対に間違っていることですが、それがまるで先生にけしかけられて私たちの団体が組織的に動いたかのように仕向けるのは、マスコミのフレーミングだと必ず申し上げたいです。
また ‘すべては神のために’ では先生が御言葉を使って、メンバーたちに暴力をけしかけたと主張します。
御言葉の全体の文脈を見れば、暴力とは全く関係のない内容であることが分かるにもかかわらず、意図的に必要な部分だけを編集してまるで暴力をけしかけたかのように表現しています。
悪いやつら, 恩知らずのやつら, 義理のないやつら, ありえない。イエス様が私に戦場で人を殺さないで戦争ができるか?殺すものは殺さないとそのように話されたことがある
2006年7月30日 <愛を通しての救い> という主題の主日の御言葉の一部です
この御言葉を通して人間が先に神様を愛してこそ完全で、全き神様との愛を成すことができるということを教えてくださいました。
ここで死は肉体の死ではなく関係の断絶を意味するし,神様がいくら愛しても人間が自分の道理を尽くさないといけないということを説明する過程で出て来た言葉です。
毒麦は抜かないといけない それはつまり無くしなさいという意味だ
‘実と毒麦’ は2006年8月6日主日礼拝
<善と悪> という主題の御言葉の中で出た比喩です。心の畑に蒔かれた良い種と悪い種の話を通して、人生の善と悪についておっしゃいました。
私たちの心の畑に神様の ‘良い御言葉’ の種を蒔いたから、善と悪をはっきり分かって義なる生を生きるようにと教えてくださいました。
これをテロの指示と解釈するのは、それ自体が度が過ぎる飛躍であり非正常的な解釈です。
先生はいつも命を愛することと平和の価値について話してこられました。御言葉を通して暴力をけしかけたというのはあきれた主張です。そんな意図がある御言葉だったなら御言葉を聞く私たちも十分分別できるし、また, それが事実だとすれば先生に従うこともなかったでしょう。
先生の御言葉は先生の生の中で実践を通してもらってきた御言葉だし、私たちも同じくその御言葉どおりに実践して生きるときに各個人に働かれる神様を感じることができました。
それだけ神様の御心と愛のこもった御言葉だったから、先生を師として従ったんです。
もう一度申し上げますが暴行, 暴言は間違った行為です。その当時の足りなかった姿を認めて反省します。
しかしそのことを全体の姿に拡張させて非難し、誤解するように仕向けることはまた別問題です。
No.11 摂理文化の歪曲
歪曲(1) 皆で楽しく遊ぶ時間が”歓楽パーティー”?
海外のリゾートで歓楽パーティーを開いたと主張する映像を見て、私はびっくりしました。あれがなぜ歓楽パーティー?
‘すべては神のために’ では御言葉に限らず、神様に栄光を帰するキリスト教福音宣教会の文化を扇情的で非正常的に見えるように歪曲しました。
水着を着て楽しく水遊びをしながら神様に感謝し栄光を帰することは、夏の修練会にはいつもするプログラムです。ところが ‘すべては神のために’ の映像では歓楽パーティーをしたと言ってみだらに見えるように誘導します。
そのリゾート一つをほぼ借りて韓国にいるチョン・ミョンソクの女たちを呼んだんです
ビーチに行って遊びほとんど遊ぶ雰囲気
遊ぶ雰囲気?性的な雰囲気?
水遊びしながら
天の前に栄光を帰する場面
‘すべては神のために’ 演出
何かが起こりそうな
BGMとナレーション追加
みだらな場面に見えるように誘導
歪曲(2)摂理のサッカーは”異常なサッカー”
それだけでなく先生とボールを蹴りながら, 天の精神を学ぶサッカー文化を異常なサッカーだとからかいます。
相手の選手たちは止めるまねしかしません
そしてゴールキーパーは反対方向に飛びます
外から見たら格好よくスライディングしているように見えますが
反対方向に飛びます
摂理のサッカーは世の中のサッカーとは概念が違います。先生は私たちにサッカーを通して、神様を中心に肉体と精神を鍛錬する方法を実体的に見せてくれたし教えてくださいました。
世の中のサッカーは相手を押さえつけ, 時には反則とごまかしを使ってまでもっぱら勝利を目標にするけれど、摂理のサッカーは平和サッカーで, ひたすら相手を尊重し配慮して反則を使わず正々堂々と試合をします。
ただ神様を中心にしながら、競技を楽しく幸せにすることを大事にします
サッカー自体で聖三位に栄光を帰し、天を中心にする方法を学ぶ実体的な教育であり、説教だと考えればいいです。
私たちは激しく体をぶつけ合ったりする, そのようなサッカーを学んだけど、グラウンド上で笑うこと自体ありえないよね
サッカーをしながら神様を探し求めることは私たちには本当に難しかった
しかし先生に会ってからは直接見れるから、先生はサッカーをしながらあのように神様を探し求めるんだなとおもった
神様に栄光を帰し, 愛する純粋な姿を見ながら、神様を愛することが人生のゴールだ!
歪曲(3)チョンミョンソク牧師は”金持ちの人にだけ”会ってあげる?
チョン・ミョンソクに誰でも会えると思いますか?
ものすごくお金持ちの人か、権力を持っている人には会ってあげるけど、一般の信徒たちはチョン・ミョンソクと個人面談をすることも簡単ではありません
お金持ちの人にだけ会ってあげ、若い女性にだけ会ってあげると事実を曲げて言う場面を見て、私はこの放送が本当に虚偽の放送に違いないと確信しました
これがうそであることは会員たちみんながよく分かると思います
先生がどれだけ多くの人と疎通されたし、弱い人, 病気の人, つらい思いをしている人を顧みられたのかをです
背が高くて奇麗な若い女性だけが写真を撮って送ったのではなくて、老若男女, みんな人生のつまらない問題まで、先生に手紙を送って相談し祈ってもらったりしました
先生に手紙を書いたことありますか?
実は私は先生に手紙を送ることについて、懐疑的な立場でした
手紙を送る人が多くてトラック1台分はあるはずだから、ささいな理由で手紙を送るのは少し申し訳ない気持ちでした
そうしていて私の人生の岐路に立つ問題があって、その時に初めて手紙を送りましたが、私の問題について‘あのようにこのようにしてみなさい’ と教えてくださる具体的な内容が入った長い返事をくださいました
そして先生が手紙でコーチしてくださったとおりにやったら、本当に大きな助けになりました
はい, 私は先生に直筆で手紙を送った経験があります
(手紙を送った) その後の状況を随行する方から聞きましたが、私の文字が (先生が) 読むには小さすぎたにもかかわらず、虫眼鏡で一つ一つ読まれたと聞きました
その後返事をもらいましたが、先生の手紙は私にとって大きな力になりましたし、問題を解決できる方向に導いてくださるきっかけになりました
誰よりも大変な環境にいらっしゃいましたが、外にいる私たちのことをもっと心配し顧みられたことは、その時期を共に過ごした会員ならみんな知っています
歪曲(4) チョンミョンソク牧師に報告するのは”20代前半の若い女性”だけ?
(報告者)は教会であったことを先生に総裁に‘直接報告する役割だ’ と彼らは言っていますが、どうして報告者は全員20代前半の女性たちだけが報告をするんですか?男性たちは報告したら駄目ですか?
報告者は一言でいうと、愛人 チョン・ミョンソクの性的パートナーです
報告者について説明します
先生と岩の作業を共にし、また運動も一緒にできる男性会員たちは、先生に近くで接し学ぶ機会が多かったけれど、それに比べれば先生と一緒にできることが多くなかった女性会員たちは、教会の様々なことについて報告する仕事を任される場合が多かったです
そして男性会員たちが報告する場合も多かったです
このような中の事情を知らない人間が、現地愛人どうのこうのと事実を曲げて言うのは、キリスト教福音宣教会の女性全体の人権と人格を冒涜する行為です
女性を主体的に自分の意志で決定できない、弱い存在として認識する、典型的な男性中心の家父長的な目線だと言えます
そしてその後に女性サッカーが活性化して、先生と女性たちも一緒にサッカーをしました
歪曲(5) 違う場所の映像を繋ぎ合わせて、チョンミョンソク牧師を”教祖”、会員を”洗脳されて狂的に従う集団”に仕立て上げた
キリスト教福音宣教会には神様に栄光を帰する舞台に、観客たちも同じ心で反応し栄光を帰する文化があります
ところが ‘すべては神のために’ ではこれはまるで、神様ではなく先生に向けられているかのように見せるために、編集を通して再びうその演出をします
別の場所で起こったことを、まるで同じ場所で起こったことのように見えるようにつくった彼らの意図は果たして何でしょうか?
怒る先生, そして先生の言葉に無条件的に反応する人々を見せることで、先生に洗脳されて狂的に従う集団の姿を演出したかったのではないでしょうか
これはドキュメンタリーでもドラマでもない、‘犯罪’ だと申し上げたいです