神様は今週私にこういう御言葉を悟らせてくださいました。
私が祈りました。「悪人の裁きをどうして神様は急がないんですか。義人たちもよくやったなら早く賞を与えなければならないんじゃないですか。」あることは10年たって裁いたり、あることは5年たって裁いていますが、それまで悪人が義人に苦しみを与え、義人があまりにも苦しんでいるということです。だからといって、義人が悪人と一緒になって戦ったら、同じ悪人になって、神様に裁かれるんじゃないでしょうか。
その時、神様が祈りの中で私に悟らせてくださいました。
「義人でも、その義人に賞を急いで与えたら、それを見ている人たちが、『賞を与える人が、気が短い。』と言うだろうし、賞をもらう人も、『どうして私が賞をもらっているのか、私もわからない。』と言う。義人も賞をもらって、『どうして私に賞をくれたんだろう。』ということになったら、賞をもらって、むしろ周りの人から悪口を言われる可能性がある。義人が賞をもらって、むしろ人々に文句を言われたりするから苦しくなるということだ。そういうことになったら、賞を与えた人も心苦しいんじゃないか。
いくら賞を与えるべき人だとしても、そんなに早急に与えるべきではない。皆が『あの人には賞を与えなければならないのに、どうして与えないんだろう。』と言う時に賞を与えなければならない。そうする時、見ている人たちが皆、拍手をして喜ぶ。『あの人はよくがんばっていたから、いよいよ賞をもらえるようになった。本当にいい事だ。』
義人に対してもそうだから、悪人に罰を与えることも同じだ。ある人が悪いことをしたとしよう。それをただちに裁いてしまったら、本人は自分がどうして裁かれているのかもわからないし、周りの人たちは『あの人がそんなに悪いことをしたのか。裁く人が気が短いんじゃないか。まるでその人に目をつけて、裁こうと狙っていたかのようだ。その人を裁こうと、その人が罪を犯す事を待っていたんじゃないか』と思うんじゃないか。
だからすべてをする時、あせって、急いで決めてはいけない。義人に賞を与える時も、時を待ってから与えるし、悪人を裁くことも、待ってから裁かなければならない。悪人を裁く時、待つのは、もしかして悔い改めるかもしれないから、悔い改めることを待たなければならない。『私がこうやったことは間違ったことだ』と本人が悟って、悔い改めるべき機会を与えなければならないんじゃないか。悔い改める機会も与えないでそのまま裁いてしまったら、そういう方を神様だといえるだろうか。
あなた方皆も間違いを犯したら、神様がただちに裁かないで、悔い改める機会を与えるんじゃないか。だから悪人の裁きを催促するな。万事に時があるから。笑う時があるし、泣く時があるし、縫う時があるし、破く時があるし、蒔く時があるし、抜く時があるし、そのように天下のすべての事に時がある。」
そういう機会を与えても悔い改めなかった時には、神様もやれることをすべてやったから裁きます。自分が罪を犯しているのにかまわず神様が黙っているのは、悔い改めるチャンスを与えていらっしゃるのです。人間が悪を行ったのに、神様がそれを忘れるでしょうか。神様がそれを見ることができなかったでしょうか。人間が悪を行い、罪を犯しても、神様が黙っているのは、悔い改める機会を与えているのです。悔い改める時間をくださっているんです。もし悔い改めないなら、その時には神様が裁きます。
(続く)
1999年6月30日 水曜礼拝より抜粋 説教者:チョンミョンソク牧師

