感謝記事シリーズ、第11弾
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祈りができることに感謝です。
祈りは神様との対話だと、御言葉で教えてくれました。御言葉を聞くまでは、祈りといえば決まった言葉を話す呪文のようなものだとおもっていました。私の祖父のお寺ではいつも決まったお経が毎日毎日、繰り返されました。それと同じだと思ってました。
しかし。
神様は生きて存在なさっている。だから「対話」した時に自分の心情を注ぎ込んで、自分の思うことを声にして神様に祈ったときに、初めて私は祈りの味を感じました。
祈りがあるから、神様と対話ができます。聖霊様に会うことができます。
私は元は祈りをたくさんするほうではありませんでした。長い時間祈れないこともたくさんありました。でも霊の叫び、魂の叫びのような祈りはたくさんしました。
特に今年後半、私は祈りました。誰も見ていない自分の部屋で、毎日毎日祈りました。
祈りによって神様が私をたくさん覆してくださいました。誰にも言わず、密かに祈っていたことも聞いてくださり、助けてくださいました。
祈りの力を大きく実感することの一つに、自分では到底無理な状況が大転換されたときです。
私は祈りが無くなったら、生きてるというのは名だけで実は死んでいるという言葉通りの人になってしまうことでしょう。
「祈りをなくしてしまったらまるで恋人をなくしてしまったように、辛くて泣きます。祈りをなくしたら神様聖霊様御子を、主を失ってしまいます。」
神様、祈らせてくださって感謝します。祈りを教えてくださって感謝します。祈りを聞いてくださって感謝します。心の叫びを全て話せるのは神様だけです。本当に感謝します。
神様に祈りの中で尋ねると、何らかの形で答えが返ってきます。だから対話です。対話というのは一方通行ではなく、双方が話してこそ対話です。神様が私の祈りに何らかの形で答えてくださるから、だから祈りは対話です。
祈れることに本当に感謝します。
新約聖書 ローマ人への手紙12章12節
望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。
新約聖書 テサロニケ人への第一の手紙5章16-18節
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
新約聖書 マルコによる福音書11章24節
そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。