伝道、そのやりがいと苦痛(2)ー鄭明析牧師

田舎で伝道をやってみると、忙しくて教会に通うことができないという場合が実に多かった。都会の伝道対象者たちは、興味がない、あるいは自分も教会に通っていたと言ったり、教会の不条理のために教会には行かず、神様を1人で信じる、あるいは通いたくない、また異端ではないのかなどと理由を付ける。もちろん昔も伝道というのは難しくて大変だったが、この時代はもっと難しいようだ。

私が通っていた田舎の教会の伝道師は家庭訪問(信者の家廻り)はしたが、路傍伝道に出かけるところは見たことがない。私は誰かに伝道すべきだと強く言われたこともなかったが、昼も夜も時間さえあれば会う人会う人に、口を開けば教会に行くことを勧め、伝道した。だが自分の村だけは伝道しなかった。東西南北どこでも誰かれ問わず、会う人には教会に言ってほしいというその一言から始めた。バプテスマのヨハネのように荒野伝道にも熱心だった。家々を訪問しながら、また道を歩きながらも伝道し、ある時は行く用事もないのに、伝道するためにバスに乗り込んで伝えたりした。

軍隊に入隊する前の18~21歳の時に伝道の火が燃えた。私が通っていた田舎の教会には、私のように熱心に伝道に出かける人はいなかった。伝道というのは、天から恵みを受けた時にすることができる。受けた恵みなしにはそのような衝動は起こらない。その当時私が通っていた教会の執事や同僚たちは、私が伝道に出かけることをそれほどよく思わなかったし、喜んでもいなかった。伝道がいかに大きなことか、その価値を話してくれる人もいなかった。また同じ次元で話し、恵みを分かち合える人々もいなかった。恵みはすべての人々が各々もらうものであって、またその恵みを受けた人だけが、その心をお互いに分かり合えるものだ。

家ではこんな忙しい時に伝道に出かけるのかと言って、あらゆる忠告と咎めを受けた。しかし私は、それにあらゆる理由をつけながら、機嫌を伺っては暇を見つけて抜け出していった。その当時は1ヶ月も2ヶ月も家に帰らずに伝道さえ思う存分できるなら、これ以上の願いはないと思っていた時だった。ひそかに私がやっていることに教会も反対し、家でも反対されたり迫害された。伝道に出かけると、その現場でもありとあらゆる難題が大きな問題と絶壁となって私に迫ってきた。すべてを整えてから生きることはできないし、何からも邪魔されることなくできることはなさそうだ。しかし、いかにいいことをしていても、困難は襲ってくるし、またそれに伴う栄光とやりがいに負けじと劣らない問題が毎日起こった。しかし命を救って帰ってくるその嬉しさは、何にも比べられなかったし、私にとっては一生の間、忘れられないことだった。今でもやりがいを感じ、信仰の喜びを楽しむ幸せなことである。一方、その時の問題や反対者から受けた心の痛みなどは、今は記憶の片隅にも残らず、消え去ってしまった。当時、迫害や反対がある、あるいは人々が受け入れてくれないといって伝道しなかったならば、私の霊魂が救われた世界で、自分の救いを得ることができず、脱落してしまったはずだ。私たちが受けるすべての苦痛は、救われたその恵みと共にやってくる火のような試みであり、また一時的な苦痛と苦悩に過ぎないのだ。嵐が怖いからといって農夫が種を蒔かなかったり、草刈が面倒だといって畑によい種を蒔かないなら、農夫は飢え死にしてしまうはずだ。

このように伝道を熱心にした後、バスの中での路傍伝道に満足できず、汽車に乗って歩きながら伝道するようになった。他の人はのり巻を売るために、またピーナッツやするめを売るために汽車に乗り込むが、私はわずかな金銭を手にするためではなく、命を救うために欲張って汽車に乗り込んだ。伝道する目的が大きかったので、日常生活において移動する時にも、汽車をよく利用した。しかし汽車に乗ることも易しくはなかったが、伝道することはさらに難しかった。初めて汽車の中で伝道した時は、本当に戸惑った。一番先頭の車両から一番後ろの車両まで、私はただ恥ずかしい気持ちで何度も行ったり来たりした。必ず伝道すべきだと思って足を止めて話そうとするが、何から言い出せばいいか躊躇しながら、慌ててそのまま通り過ぎてしまった。本当に心情は燃え、胸は張り裂けそうだった。あまりにも苦しくて、何回も汽車から飛び降りたくなった。汽車の車両は満員だった。結局私が死んでしまうと、私が燃え尽きるほどやりたかった伝道ができなくなるので、死んではいけないと思い、車両の外に出て冷たい空気を吸い込み、話す練習をしてから再び車両に戻って歩き回った。車両に戻る時は、座っている人全員を伝道すると意気込んでいたが、結局は1人、2人の伝道で終わってしまった。
(続く)伝道、そのやりがいと苦痛(3)ー鄭明析牧師

冒頭画像出典:鄭明析牧師公式サイト

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