作成:1995年
人はみんなそれぞれ自分だけの人生を生きている。私だけが歩んできた道はある面では栄光であるが、ある面では苦労ばかりであった。私についてくる人々に人生の教訓として役立てばと願い、95年最後の月にも天の感動によってこの文章を書く。
世の中の存在物は神様が創造しておかれたが、人々がどのように手を加えるかによって、どういうものになるかが左右される。人々が踏み歩く土も手でこねて、きれいに作った後1200℃で焼き上げた焼き物になると、誰も踏むことはできず、かえって応接間の尊い場所に飾られる物となる。人も同じだ。人も根本的には神様の創造物であるが、再び神様が手を加えられることによって、どのような人間になるかが左右されるのである。筆者の「私だけが歩んできた道」の話は、神様が今まで私の人生に手を加えてこられた過去のことを悟ってからの話だ。私を通して、自分の人生の神様がどのように手を加えてこられたのか、みんなも悟ってほしい。
ある時、祖父が息を潜めながら、父に話したいことがあると言った時のことである。
「お前に話しておきたいことがある。私たちはもともと今いるこの月明洞(ウォルミョンドン)に住んでいたのではなく、私は公州、パンポミョン、ソクポン、ケリョン山、トンハク寺の近くにある村に住んでいた。大院君(テウォングン:1820~98年。李王朝末期の政治家)の時勢にはその下で働き、景福宮(キョンボックン)に出入りしながら漢陽(李氏朝鮮時代のソウル)に住んでいた」。
ソウル・景福宮(キョンボックン) 画像参照:スカイ
景福宮とは
景福宮は1395年に建てられた朝鮮王朝の正宮。現在の青瓦台(チョンワデ・大統領官邸)のような機能を果たすまさに、王朝の心臓部。
豊臣秀吉による壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の戦火によって全焼。その後再建するも1910年、日韓併合によって日本の統治下になると、景福宮内にあった殿閣のほとんどが日本軍によって破壊された。現在、復元工事中。
参照:ソウルナビ
今も公州に出かけると、年配の方々が私の祖父についての話をおぼろげに聞かせてくれる。祖父は忠清道地域の税金を徴収し、12頭の馬に積んで、景福宮を再建する時に使った。祖父が大院君の下で高宗王(1852~1919年。李王朝第26代王)に仕えていた頃、日本人が政権を握っていた時代だったので、虐殺が横行していた。祖父を大切に考えていた大院君は、祖父を平壌の頭に任命したが、祖父は王に仕えることが最高の生きがいだと言って、離れることを拒んだ。故郷は公州だったが、生活はほとんど漢陽で送った。王の寵愛を受けて、ある時は土地ももらったが、それがケリョン山だったという。
祖父について多くの逸話がある。父からこういう話を聞いたこともある。公州地域では毎年旗を奪い合う行事があったが、自分の村が負けたのを見て腹が立ったあまり、1度は自分の村の旗に高宗王の印をもらってきて、例の旗を奪う行事を行なった。相手の村の人々は、王の印が押されているのを見て、1人も旗を奪いに来るものがなかったので、そのまま勝ってしまったという。祖父が住んでいた公州のある村に行って聞いてみたら、その旗はしばらくの間、受け継がれていたが、今はもうなくなってしまったという。
(続く)
冒頭画像出典:鄭明析牧師公式サイト