私をどのように教えつくって下さったのか(2)ー鄭明析牧師

鄭明析牧師 少年期 キリスト教福音宣教会
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鄭明析牧師が歩んだ生涯の記録 わたしが歩んできた道より
作成:1995年
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日本の侵略の下で、明成皇后(1851~95年。高宗王の后で日本人に虐殺された)殺害事件を直接見てショックを受けた祖父は、公州(百済の古都)で親戚と共に隠遁生活を始めた。その時、寄贈された土地を全部日本人に奪われ、祖母や三男一女の子供たちと共に珍山面ムクサン里に移って半年間暮らした。

祖母はチョンスン(大臣に相当する官位名)を得た人の娘であったが、その事実を隠して暮らさなければならない状況だった。そのような隠遁生活をしていたので生活が苦しくなり、9年間雇われ人として働いた。その当時、父は9歳にしかなっていない幼い頃であった。時は日本の弾圧下、宮殿で働いていた人はみんな連行され、その身内を絶やしていた時代だったので、祖父はやむを得ずおしにならざるを得ない生活の中で、亡くなる前に父にその話を明かしたのだった。父に明かした時も、子孫が絶えてしまうことを恐れて、誰にも言わないように念を押したという。過去に偉い官位に就いたが、そんなに大したことなのかと思って子供たちに話さなかったが、死を前にした時、あれこれいろいろなことを言い出すようになったのだ。

その時、祖母も痕跡をなくすために、鄭氏の家系図を燃やしてしまい、子孫たちには家が火事になった時に家計図が燃えてしまったと伝えたのだった。

とにかく今日、私がこのような働きをするようになってからは、祖父の話が重要になってくる。祖父の血が孫の時代に流れると言われるからなのか、私も祖父に似て民族魂が強いようだ。

父は金鉱で40年間鉱夫として人生を過ごし、今年85歳だ(1995年当時)。このように暮らしてきたので、私たちもやはり山奥から出るのが難しく、貧しい村の生活を長く続けてきた。

最近の月明洞は山奥だから空気も澄んでいて水もよく、別荘のような地域だが、30、40年前は山の獣が吠えたり、原住民のような焼畑農夫たちが住んでいた地域であった。

鄭明析牧師 藁ぶき家
鄭明析牧師が住んでいた家 画像出典:マンデー

両親はいつも「農業をして生きることが楽なんだ。土は人を騙さない。この生活は完全な生活だし、生きがいを感じさせてくれるじゃないか」と語っていた。おそらく父も祖父の影響を受けたのだろう。山奥での生活は、労働によって全身が土まみれになって生きなければならないと同時に、あらゆる大変な仕事をこなしながら、どんなに頑張ってもまともには食べていけない奴隷のような生活であった。

そのような生活であったから、私の過去の人生は本当に呪いたいくらいであった。それで毎日毎日その山奥から出て行くことばかり考えていた。日雇いの肉体労働をしたとしても、電灯が少しでもつく都会のようなところならどこでもいいと考えた。田舎は人の体をボロボロにする場所だと思って、田舎から離れることを夢見て、もしかしたらと詩人のように1日に何度も空を仰いで見ていた。もしかして私の行くべき道を示して下さるのではないかと思って。

その時は、私が心を定めることができなかったので、田舎を悪くばかり思ってしまった。神様が今日の私をつくるために、人生のあらゆる苦しみを経験させ、練達して下さっていたことに全く気が付かなかったのだ。人は悟ることができなければ獣のように生きるようになり、気苦労ばかりが増していくのである。

(続く)

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冒頭画像出典:鄭明析牧師公式サイト

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