伝道、そのやりがいと苦痛(5)ー鄭明析牧師

このようなことがあった後1週間ほど経ってからのことだ。久しぶりに家で母と妹に会うことができた秋の日の夜だった。母は私を見るたびに悩んでいた。つまり心配だったのだ。山でのお祈りや路傍伝道をする時、両親から何か文句を言われると、聖書を持って山に入って、そこで一日中聖書を読んでから降りてきた。


鄭明析牧師の家族 出典:鄭明析牧師サイト

その夜、母は私に何か言いたいことがあるのか、すねた顔をしていた。妹も口には出さなかったけれども、気に食わない顔をしていた。他の家族はみんな家にいなかった。父は隣りの執事の家に出かけていて、兄弟たちはすでに家を出て就職していた時だった。今の家ではない藁葺き家、先祖たちが170年前に焼畑の生活をしていた時に建てた家だったので、一番広い部屋でも座ると互いの顔がぶつかるほど狭く、さらにサツマイモの栽培をたくさんしていた時期だったので、部屋の中にはサツマイモを入れた袋が部屋の半分を占めていた。あの当時はサツマイモの栽培をたくさんしていたので、部屋の中にはかなりのサツマイモの袋があった。そのサツマイモは我が家の主食だった。

鄭明析牧師 藁ぶき家
鄭明析牧師が住んでいた藁ぶき家 出典:鄭明析牧師の足跡(韓国)

母はついに私の声をかけてきた。「あなたの前で言うのも恥ずかしいが、思い切って話すわ」と言った。私は何を言われてもそんなに驚かなかった。なぜならばそれほど驚かせることを最初からしていなかったからだ。平然と「何の話ですか」と言った。

「あなたは最近どこに行っているの」と聞かれたので、「伝道しに行ったり、山にお祈りしに行ったりしています」と答えると、「伝道しに行くと言っておいて、どうして飲み屋に行って酒を飲んだり、飲み屋の女の人と付き合ったりしているの」と言った。「そんなことはしていません」と言った。「一体誰が、私が飲み屋の女の人たちと酒を飲むのを見たと言うのですか」と聞いた。

母が妹に「本当に見たの」と聞いたら、妹は「見てきた人が話してくれたのだから、見たのと同じです」と答えた。その時、私の心の中から怒りが込み上げてきた。私がいくら腹を立てて、そんなことはないと言っても、母はさらに血気盛んに、どうして私を騙すのと言った。天が怖くないのですかと怒鳴った妹も、一緒になって攻撃をしてきた。確信を持って、何のためらいもなく私に忠告した。母は、どうしてベトナム戦争へ行って来て堕落したのかと泣きながら話した。行くところがそんなにもなくて飲み屋に行き、飲み屋の女の人たちと付き合っているのかと泣きながら責めてきた。狭い村に噂が広がって恥ずかしくて教会に行けそうにもないと言って、兄さんはどうしてそうなってしまったのか、と悲嘆に暮れながら涙を流した。私は涙、鼻水を流す余裕もないまま、お願いだからとんでもないことを言わないでと言い続けた。すべてが悪霊と悪魔の仕業だと言った。そして私のことを憎んでいる人たちが、私が7週間前に珍山の屋台に伝道をしに入ったのを見て、母に言いつけたに違いないと言った。

私が、誰がそう言っていたのかと尋ねると、あなたがその人を殺しそうだから絶対に話せないと言ったが、とうとうその人は一般の人ではなく、我が石幕教会の執事だと白状した。よく考えてみると、その日に屋台で隣りでチラッと見たことのある人の顔が目に浮かんできた。男性の李執事だった。彼は私とかなり親しいし、教会のことに忠誠を尽くし、私とは気が合う執事だった。普段親しく付き合っていた執事だったが、その話を聞いたら、憤りが込み上げてきて、そのまま追いかけていって根拠を問い詰めようとした。

母は、あなたが行くと事故を起こすに違いないと、手をつかんで引き止め、まずあなたの罪を悔い改めて飲み屋に行かないでと哀願した。母は、私が飲み屋の女の人と遊んでいたと聞いて、仰天して声を張り上げながら、あなたはどうしてこうなってしまったのかと嘆いた。村の人々はまだ知らないが、教会の人々はみんな知っていて、うちの家族が教会に行くとみんなにヘンな目で見られる、母も恥ずかしくてこれ以上教会に通えないと言った。誰かが私を見たというが、神様が見たとおっしゃってもそんなことはなかったと私は言った。母はその話をどうすれば信じるのか、信じられるような証拠を見せてほしいと言った。
(続く)

冒頭画像出典:鄭明析牧師公式サイト

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