伝道、そのやりがいと苦痛(7)ー鄭明析牧師

鄭明析牧師 伝道
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神様は私たちの真の牧者であり、イエス様は私たちの罪と咎をあまりにもよく知っていらっしゃり、義と功績についても詳しい方である。私は人生の中でこの方だけを認めてきた。

今は両親や兄弟たちがみんなこの福音の先頭に立って走っているので、私はやりがいをもってこの文章を書けるようになった。私のせいで父母兄弟たちは波乱万丈の人生を送った。今日の私を見て、両親が生きがいを感じているのを見ると、神様に感謝するばかりである。

86歳(*注1)の父は今朝、春一番の冷たい風が吹く故郷の裏山にある展望台(海抜450m)で3・1節(1919年の独立運動を記念する日)の朝のお祈り会に参加し、私が説教する御言葉をうなずきながら聞いていた。私の行く道を神様がより輝かせて下さったのだ。

長男インソク牧師、次兄のクァンソク牧師、みんな私のために憂いと切ない祈りが尽きることがないので、私はさらに責任感を感じるようになったし、また教会の人たちが絶えず祈り、命をかけて教会のために走ってくれたから、今日の私達の教会が生まれるようになったことを否定しない。

イエス・キリストと神様の恵みが、またその方を認める信仰が満ち溢れることを祈る。

*注1 86歳はこの文章を書いた当時の年齢で、97年に鄭明析牧師の父は亡くなっている。

(シリーズ終わり)

冒頭画像出典:鄭明析牧師公式サイト

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