1時間以上血気盛んになって口論したが、結論は出なかった。結局私は怒りを抑え切ることができなかった。私を信じて下さい、お母さんの子供なのだから私を認めて下さいと言ったが、人が間違って見てきて話したことを誤解し、全く私を信じようともせずになおも訴え続け、鬱憤を爆発させた。お母さん、神様から見ても堕落してお酒を飲んだこともないし、女の人を抱きしめたことも全くないのです、と過去のことまで引き出しながら話したが無駄だった。あまりにあっけにとられたのでついに憤慨し、神様を呼び求めながら私のこの悔しさを訴えた。それでも問題は解決されなかった。
更に多くの激しいやり取りののち、私たちが間違っていたと母と妹は話してきた。
何も知らないのに母に好き勝手に話した李執事の首をねじってやりたかったが、母と妹が私のことを認めてくれたことに満足し、言いふらした李執事にはいまだにこのような話は一言もしたことがない。私の兄弟、親戚さえ私のことをそのように誤解しなければ、私は満足なのだ。その後、どのような経緯で李執事が間違って見て来てそのような話をしたのか、母がそれを聞いたのかどうかさえも私は尋ねたことがない。ただその日に私がしたことを考えながら、これからはそのような方法で自分の正誤を明らかにさせ、屈服させることはいけないことだと反省し、それから20年が過ぎた今に至るまで、誰かが私に濡れ衣を着せても親戚、隣り人を問わず耐え忍んで、ひたすら天が私に与えて下さった使命のために走っている私の心情を、この文を読むみんなが悟ってくれることを願っている。戦うと自分だけが損で、自分だけが苦痛だ。私はすべてを神様に委ね、その方の仕事をする家令のような使命だ。
後で母は私に耳打ちしてくれた。「あなたが飲み屋の女の人と酒を飲んでいると言っていたその執事の奥さんが、病気で本当に苦労しているそうよ。いつか行ってお祈りでもしてあげた方がいいんじゃない」と言ったので、挨拶を兼ねて一度行った覚えがある。その執事の家庭には、今日まで災いと苦痛が絶えないという話を今でも聞いている。
神様の福音を宣べ伝えることは本当に難しいことであって、福音による苦しさも濡れ衣を着せられることもあまりにも多かった。一人で歩き回りながら屋台の女の人を伝道する時も難しいことが多かったのに、いわんや数万人を伝道した今日ではどれほど難しいことが多くあるだろうかと覚悟を決める今日この頃である。1人を救えば1人は滅びの世界に行こうとするのを見てきた。善評者は救われ、悪評者は滅びの道に至った。実にもどかしい運命であった。その後も本格的に路傍伝道に出かけて、ソウルのヨンサン地域の歓楽街を、新村地域を・・・今は忘れてしまってはっきり思い出せないが、ただ熱心に駆け回った。しかしそういうところで伝道しながらも、異性の誘惑に陥ったことは一度もなかった。時には叱られ、追い出されることも多かった。しかし結局はほとんどの人が神様を信じるようにすると言ってくれた。
冒頭画像出典:鄭明析牧師公式サイト